くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

史跡

旧・玉名郡の道路元標さがし

猛暑日の予報なので早起きして旧・玉名群へ道路元標を探しに行く。 午前5時過ぎにカーボンロードバイクで出発し、新屋敷を抜けて明午橋を渡り、 県道1号線に入って本妙寺の坂を上る。 自動車4~5台とロードバイク4~5台に抜かれて峠の茶屋に上がり、 そ…

「暮の坂」と「御手水の森」

梅雨も後半に入ったと思った途端に中休み。わが家は七月盆なので、送り盆のための墓参りの準備を済ませた後、1時間程ポタリング。 加藤清正関係の史跡なら、大概廻ったつもりであったけど、地元ケーブル局の番組「ひご散歩」で、下硯川に「暮の坂」という史…

清正公にまつわる女性たち

10日振りくらいに雨が止んで、朝からサイクリングに出かけようとしていたら、夫婦喧嘩が始まり、一旦休戦状態に入った頃には家の前の舗装道路も乾いてきたのでサイクリングに出かける。 時間もあんまりないので、本妙寺まで上がり、あとは横手、川尻を廻った…

のんびりと霊台橋まで

午前中は時間がとれたので、美里町の霊台橋まで行くことにする。 午前6時過ぎにカーボンロードバイクで出発し、出水ふれあい通りから画図の田舎道を走って、中の瀬橋、めど町橋を渡り、 緑川左岸を甲佐方面へ走る。 (築地堰) (糸田堰) (麻生原堰) 甲佐…

立野の慰霊碑ライド

数週前の地元テレビ局のニュースで南阿蘇村立野での熊本地震の慰霊碑のことをやっていたので行ってみる。 北バイパスに入ってすぐ右折し、県道145号の供合線で東へ走り 瀬田から国道57号線に上がる。 JR立野駅への交差点から左へ上がり、さらに坂を上がって…

前方後円墳ライド

数日前のニュースで、仁徳天皇陵古墳など49基の古墳からなる大阪府の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が6月に始まるユネスコの世界遺産委員会で正式に登録が決まる見通しになったと言っていた。 仁徳天皇陵ほどではないけれども、熊本にも前方後円墳ならあち…

鉄眼禅師ライド

一日中雨が降ったり止んだりの予報だったけど、午前10時頃になったら空も少し明るくなってきて、家の前の道も乾いてきたので10時半頃にクロモリロードバイクで宇城市小川町を目指して出発。 出水ふれあい通り経由で画図の田舎道を走り、 中ノ瀬橋、めど…

明治天皇の足跡めぐり

元号が令和に代わって、ちょっとショックだったのは遂に天皇陛下が自分より年下になってしまった、と言うこと。 そんな令和天皇の4代前の明治天皇が熊本に残した足跡が市内のあちこちにあるので、ちょっくら廻って来た。 明治天皇が熊本へお越しになったの…

鏡町の公園と保育園めぐり

先週末の地元局のニュースのいくつかで八代の鏡町の事を伝えていたので行ってみる事にした。 朝の用事を済ませて9時半過ぎにカーボンロードバイクで自宅を出発し、出水ふれあい通りを走って中の瀬橋、めど町橋を渡る。 国道266号線、県道313号線、312号線を…

肥後の勤王志士ライド

雨が朝で上がったので午前10時半頃からクロモリロードバイクで出かける。 京塚経由で県道226号線を南下し浮嶋神社から サントリービール工場の丘を越えて御船に入り、門前川眼鏡橋経由で 木倉から県道221号線で軍見(ぐみ)坂を上るつもりだったけど、どうも…

熊本の「タタラ場」めぐり

わたしの愛用しているロードバイクのフレーム素材は「クロモリ」。 鉄に少量のクロムモリブデンを混ぜた合金である。ロードバイクのフレームとしては重く、競技には向かないものの、乗り心地がしなやか。 よく考えてみると、「鉄」は人間の身体に不可欠のも…

美女伝説の平川淀姫神社

合志市の竹迫(たかば)は、 玉名・植木から阿蘇方面へ向かう古道と、菊池から益城・御船方面への古道が交わるところで、交通の要所として栄えた。 (竹迫日吉神社) そんな竹迫から、現在は県道49号線となっているかつての古道を東へ走って行くと、あちこち…

竹崎季長ライド

「蒙古襲来絵詞」が17年振りに里帰りして、「くまもと文学歴史館」で展示会をやっていたので先日、見に行った。 (展示会場の外廊下に掲示された「蒙古襲来絵詞」のフォトコピーの長さは合計で40メートル) そこに描かれていた竹崎季長(すえなが)の事を色…

島原城下を散策

ひっさしぶりに家内とサイクリング。 クロモリロードバイクをNBoxに詰め込んで熊本港まで車載し、 私は自転車で、家内は徒歩で始発のオーシャンアロー号に乗り込み島原に渡り、 島原のフェリーターミナルで家内のための電動補助自転車をレンタル。 城下…

懐良(かねなが)親王ライド

南北朝時代の肥後の国と言えば、菊池武光公が思い浮かぶが、忘れてはいけないのが懐良(かねなが)親王である。 菊池や八代で「懐良親王」の名前の載った案内板を何度か見たことがあったので、ネットで事前調査して、数日前の木曜日に菊池、そして今日は八代…

続・道路の起点めぐり

大正時代の国道は、全ての起点は東京(日本橋に置かれた道路元標)だったが、現在の国道は、路線名(番号)や重要な経過地とともに起点と終点が決められている。 熊本県内には23本の国道が走っており、その中で熊本県内に起点があるものが9本。 その中でも、わが…

道路の起点めぐり

グーグルマップで熊本市街地を調べていたら、白川公園に「熊本市道路元標」という史跡があることに気づいたので行ってみる。 朝6時頃にクロモリロードバイクで出発し、 明午橋を渡って、白川公園へ。 国道3号線に面する入口のところに ちゃんと立っていた。 …

くまもと海苔養殖ライド

海苔の養殖は有明海沿岸が有名だけど、特に熊本はその発祥の地と言われているので、その所縁の地を廻った。 まず訪れたのが宇土市の住吉地区。紫陽花で有名な住吉公園の 西側斜面に「海苔養殖の母」と呼ばれる「ドゥルー女史」の顕彰碑が建っている。 今では…

「寂心さん」経由「あんたがたどこさ」ポタ

今日は色々と用事もあるけれど、週末雨予報なので、少しでもロードバイクで走ろうと練習がてらに金峰山へ。 藤崎八幡宮経由で県道1号線、県道31号線を走り、貢町から「ゆうかファミリーロード」を走るり、硯川で県道32号線を横断して「ゆうかファミリーロー…

金峰山から「おてもやん」ポタ

昼から用事があるので金峰山へ。 峠の茶屋から右折して芳野のJAから直進し 金峰山の三の岳、二の岳の中腹をグルっとまわって、 面木(おものぎ)を経由して松尾東小の所に降りた。 そこからの帰り道、熊本を代表する民謡の、「おてもやん」の所縁の地を廻っ…

県北の「絹の道」ライド

蚕に桑の葉を食べさせて育て、その繭から絹を作り出す養蚕業は、かつて日本の主要産業であった。 中国で始まった養蚕業は朝鮮半島を経由して弥生時代には日本にもたらされたと言われるが、特に江戸時代以降は多くの藩で奨励したこともあって、盛んに行われる…

坪井川歴史散策

折角の好天なので、どこぞへロングライドに行きたいところだけど、家内の実家のある高橋町へ行かねばならない用事ができたので、ついでに坪井川を河口から街中まで辿る事にする。 河口までは金峰山を抜けて行こうと言う話を、昨日職場でしていたところ、同僚…

「やんぼしづか」めぐり

わたしが生まれ育った熊本市京町から北へ1.5㎞ほど行くと「山伏塚(やんぼしづか)」がある。 熊本城築城の際に、地鎮祈祷に呼んだ山伏を、城の秘密を知り過ぎたからという理由で殺してここに埋葬したと伝えられている。 自転車で熊本県内をあちこち走り回っ…

「阿部一族」めぐり

森鴎外の短編小説「阿部一族」は熊本藩主・細川忠利(ただとし)公の病没の際に君主の許しを得ずに殉死した家臣とその一族の悲劇を通して、形骸化した武士道の掟の理不尽さを描いている。 この小説は、寛永20年(1643年)に起こった史実を元にしたものなので…

「軍都」の痕跡探し

態本は1871年に鎮西鎮台の拠点が設置されて以来 、熊本鎮台、第六師団の本営が置かれ、維新直後から第二次大戦の敗戦に至るまで約70年間にわたって軍事拠点(軍都)であり続けた歴史を持つ。 (西南戦争当時の熊本鎮台司令長官・谷 干城) その中枢は熊本城お…

清正公に感謝!

冬の間、ほとんど坂を上っていなかったので、久しぶりに金峰山の山頂まで上って来た。 その道すがら本妙寺にある清正公像にご挨拶。 というのも、先日放映されたNHK・BSの「新日本風土記」が「熊本」で、 それを観て、「肥後もっこす」のひとりとしての「…

「戦国肥後国衆祭り」ライド

よくコメントをいただく「通りすがり」さんからのお薦めで「肥後国衆一揆」の事を調べていたら、和水町で丁度「戦国肥後国衆まつり」が開催されるというので、周辺の関連史跡巡りも兼ねて見に行くことにする。 午前7時半にクロモリロードバイクで出発し、北…

八雲を「聖地巡礼」

数年前、宇土半島一周した時に、たまたま立ち寄った三角西港の「浦島屋」が、小泉八雲の短編小説「夏の日の夢」の舞台となっていた事を知った。 その後、しばらくしてその短編小説を読んでから訪れた「浦島屋」は、前回の時とは違う印象で、二階のバルコニー…

堀切隧道群めぐり

菊池市の西端で山鹿市菊鹿に接する堀切地区には、約100年前に住民により鋤、鍬などで掘られた6本のトンネルがある。 これらは「堀切隧道群」として知られており、ほとんどが現役。これまでに1008さんをはじめ、みきたかさん、アンカー星人さんもレポートして…

「肥後の名君」ポタリング

午後から紅葉見物がてらにクロモリロードバイクで島崎の「三賢堂」へ。 三賢堂は、熊本市の政治家・安達謙蔵(1864年11月22日~ 1948年8月2日)が 熊本市民の精神修養の場として昭和11(1936)年に建立した円筒二重層の鉄筋コンクリートのお堂である。 (事…