くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

清正公に感謝!

冬の間、ほとんど坂を上っていなかったので、久しぶりに金峰山の山頂まで上って来た。

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その道すがら本妙寺にある清正公像にご挨拶。

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というのも、先日放映されたNHK・BSの「新日本風土記」が「熊本」で、

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それを観て、「肥後もっこす」のひとりとしての「清正公さん」への畏敬の念を改めて自覚した次第。 ちなみに、清正公像と言えば、わたしにとってはこの本妙寺のものが一番馴染みがあるのだけど、その歴史を調べてみると、1935年(昭和10年)、加藤清正の没後325年忌の記念事業で、本妙寺が製作。1944年(昭和19年)に戦争末期の金属供出で一旦撤去されたものの、1960年(昭和35年)に再建された。

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作者は、長崎の平和祈念像の作者としても有名な北村西望氏(1884~1987)。 平成28年4月16日の熊本地震の本震で、銅像の清正の持つ槍の先端部分からおよそ2メートルが折れて落下。

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(ネットより引用)

その後間もなく修復工事が行われ、鎌形の刃が片方だけ長く突き出ている「片鎌槍(かたかまやり)」の姿を取り戻した。

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熊本市内にあるその他の清正像としては行幸橋の袂で熊本城をバックにしている像が存在感がある。

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桔梗紋の具足、蛇の目紋の桶側胴、陣羽織、長烏帽子の姿で采配を持ち、治山治水あるいは築城を指揮した姿を表していると言われている。

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ネットで調べた範囲では、この像の作者は不明だけど、名古屋城能楽堂の前にあるという清正像が兜の一部以外は「瓜二つ」なので、名古屋城のものを複製したのかも。 また、健軍神社の参道と東バイパスの交差点の肥後銀行横にある清正像は凛々しい騎馬像。

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一帯は「八丁馬場」と呼ばれているが、それは清正が健軍神社の楼門前より西へ馬の調練場を造り、後に健軍神社へ参道として寄贈したことによる。

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この像は清正の生誕450年記念功績(参道寄付)を称えて平成23年7月に建立されたもので、馬の雰囲気がちょっと違和感があると思ったら、「台湾製」とのこと。 意外と知られていないのが、八景水谷加藤清正公の像。

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大正14年(1925年)3月に「上水道通水」「市電開通」「第23連隊移転」の熊本市三大事業の完成記念して開催された博覧会「国産共進会」の会場中央に設けられた大噴水塔の上に設置してあったもので、終了後ここに移設され、その後昭和59年(1984年)に樹脂による修復が行われたらしい。

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この塑像は、当時熊本中学(現熊本高校)の教諭であった甲斐青萍(せいひょう)氏の手による原図に基づき、熊本県ゆかりの著名な彫刻家であった松原象雲氏の代表作で、清正公が熊本の地で治水土木を指揮した雄姿を模したものと伝えられている。

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島崎町にある三賢堂は常々施錠してあるが、市の文化振興課に電話して開錠してもらえれば、菊池武時、細川重賢とともに肥後の三賢人とされる加藤清正の座像を見ることができる。

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作者は猫をモチーフとした作品群でも有名な彫刻家・朝倉文夫氏。 金峰山からの帰路、立ち寄ったのは柿原(かきばる)にある養鱒場。

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ここには「お手水(ちょうず)」と呼ばれる湧水があり、

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熊本市の水遺産にも選ばれてる。

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清正公はここの湧水を好み、よく訪れたと言われており、石像が建てられている。

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熊本市以外では、菊池市の「築地(ついじ)井手」にも清正公の石像がある。

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築地地区で菊池川から分水し、水田220haを潤している築地井手は清正の手によるものとせれている。かつては、水田のみならず生活用水として利用され、とくに防火用水として利用されている。

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最後に、わたくし事ながら、本日62歳となった。これまで元気で生きてこれたのも、両親、家族、親戚、友人、先輩、後輩、その他これまで関わった多くの人達のお蔭であるが、直接関わってない人の中では、やっぱり清正公に感謝!

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