くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

仁王さんコレクション

雨ゆえに、サイクリングの時に撮り貯めた画像の整理を兼ねて、コレクションのご紹介。 サイクリングの時は、休憩がてらに神社仏閣を訪れることが多い。参道に入ると出迎えてくれるのは狛犬が多いが、時には仁王さんのこともある。 「仁王さん」と言えば、条件反射的に頭に浮かぶのは、熊本市中央区坪井の「仁王さん通り」の仁王さん。

画像

細川家が肥後藩の藩主として小倉から移り住んだ時に、ともに移動させた「正福寺」の山門に立っている。 隣町の京町で育ったわたしにとっても馴染みの深い仁王さん。 仁王さんは、正式には「金剛力士」と呼ばれる。 仏教の世界(六道)でいう「天界」に住む者のひとりで、四天王などとともに、守護神としての役目を担っている。 口を開けたのが阿形(あぎょう)像、

画像

口を閉じたのが吽形(うんぎょう)像で、

画像

これは「狛犬」や沖縄の「シーサー」も同様。 この「阿吽」はサンスクリット語で、「阿」は口を開いて最初に出す音、「吽」は口を閉じて出す最後の音であり、転じて、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。 像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにし金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれる短い槍のような武器を持つ像が多い一方、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表すものが多い。 こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表している。(Wikipediaより) 通常、向かって右側に阿形像が、左側に吽形像が、足を広げて、文字通り「仁王立ち」になり、「阿吽の呼吸」で仏敵を威嚇している。 仏敵を威嚇するのだからお寺にあるのが普通だけど、日本では本来、神仏習合。神社でも仁王さんの姿を時々見かける。 さて、そんな仁王さんの画像を収めるきっかけになったのが、菊鹿町の松尾神社。 頭でっかちのその石造は、威圧感よりは可愛さの方が勝っているように思えた。

画像

宇土市網田の網田神社にも、よく似た仁王さんが立っていて驚いた。

画像

初めてブルべに挑戦した時、試走をした鹿本広域農道の鹿央町下米野の能満寺で見かけた仁王さん。

画像

宮本武蔵が五輪書を書いた霊巌洞や五百羅漢で有名な雲巌禅寺の仁王さん。 武蔵が籠っていた当時、五百羅漢はまだ無かったが、この仁王さんはすでに立っていたとのこと。

画像

そこから金峰山方面へ上がった金峰山神社北参道の仁王さん。この仁王さんは上半身裸でなく、何か着ている。 金峰山の山頂へは今でこそ大将陣を経由して上るのが一般的だけど、戦前は通常、こちからからだったらしい。

画像

金峰山から市内に下りる途中にある本妙寺の参道の仁王さん。

画像

寛永の津波関連の史跡めぐりで訪れた長洲町清源寺。津波到達の伝承の残る加藤社を訪れた際、付近のおばさんに勧められて行ってみた菅原神社には睨みの効いた仁王さん。

画像

雨ざらしの場合は石造の仁王さんでなければならないけど、山門があって、ある程度雨風がしのげる場合は木造らしい。 益城町の飯田山の中腹にある常楽寺の、表面があまり滑らかでない仁王さん。この後、山頂への激坂を上ると仁王さんみたいに顔が真っ赤になるもんね。

画像

最近はウキウキロードへ右折するけど、釈迦堂橋を渡って南へ直進したところにある木原不動尊の仁王さん。格子戸のために近接しかできないけど、目といい、全体的な造形といい、何だか漫画的で面白い。

画像

金峰山へのアプローチは、私の場合、ほとんどが鎌研坂経由。その本格的な上りが始まる所にある岳林寺の仁王さん。なかなか迫力がある。

画像

最後は、昨年、motteaさんの別宅に宿泊させていただいたものの、雨で翌日のサイクリングが中止となり、代わりに人吉市内散策で訪れた青井阿蘇神社。 国宝に指定された神社だけあってバランスの取れた仁王像。

画像

ちなみに、この仁王さんは「健脚」ということでも有名で、芦北などでは仁王像に草鞋(わらじ)を奉納する習慣があるところも。 自転車乗りとしてはあやかりたいところだけど、「健脚」と言っても「速い」わけではないそうなので、レース指向の方は、どちらかと言えば、「韋駄天」の方にお参りしないといけないらしい。