午前6時頃、クロモリロードバイクで出発。
水前寺江津湖公園の遊歩道を走り、
麦畑を抜け、
御船から国道445号線で矢部方面へ坂を上がる。
昨年の中頃からだったか、この国道を上っていると「歌人 河野裕子 生家跡」という案内板が立っているのが気になっていたので訪ねてみることにした。
御船町大字七滝の小川野地区から国道を逸れるが、
その先に案内板が見当たらず、ヤギと散歩中の少年に聞くと、道なりに進むとある、とのこと。
狭いコンクリート道路を上って下って行くと右側に目的地。
歌人・河野裕子は、昭和21(1946)年7月24日、この地に生まれた。
3歳頃に転居して滋賀県石部町(現・湖南市)で育ち、 京都女子大学在学中に『桜花の記憶』で角川短歌賞を受賞して注目されるようになった。
歌壇最高賞の迢空(ちょうくう)賞を『母系』で受章し、歌人と細胞生物学者の二刀流をこなす夫の永田和宏氏と共に宮中歌会始の選者、「塔」短歌会の主宰やNHK短歌等の選者を務め、 生涯15冊の歌集を残すなど戦後の女性歌人のリーダーとして活躍した。
後年、乳癌に罹患して10年の闘病の末、2010年8月12日に病没。享年64歳であった。
死後見つかった日記を基に夫の永田氏が出版した「あの胸が岬のように遠かった」が一昨年にドラマ化され、
NHK・BSで放映された。
昨年4月、河野裕子が所属した「塔」短歌会と地元の顕彰会などが中心となり、故郷に故人を顕彰するために建立。同町役場駐車場の一角に4月に完成していた。
翌5月の除幕式には夫の永田和宏氏とご家族の参加のもと、除幕式が開催された。
それに合わせて生誕の地に案内板が立てられたのだ。
道を戻り、国道445号線を下っていると、見落としてしていた案内板があり、
河野裕子の伯父も歌碑が建てられるような歌人であったことが判明。
その後、国道445号線をもう少し下って、七滝郵便局の手前から右折して道をグネグネ進み、
久しぶりに八勢眼鏡橋を訪ね、
県道221号線に上がって西へ進み、
軍見(ぐみ)坂を下って、セブンイレブン木倉店で小休止。
御船の田舎道を走って、
サントリービール工場の丘を越えて浮嶋神社を経由。
その後は県道226号線を北上し、健軍自衛隊、京塚経由で帰った。
本日の走行距離:55.8㎞