くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

一年振りの五家荘

朝早めに起きて準備して、午前7時頃にロングライド用のカーボンロードバイクで出発。 一年振りに五家荘を目指して、めど町橋から緑川沿いを甲佐に向かって走る。

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五家荘に到達するための峠はどれも長くて険しい上り坂が待っている。 それ故、五家荘を目指すには、いつも、ある程度の目的と覚悟が必要。 今回、その動機付けのきっかけは、今年の1月。高校の同窓会の新年会の時だった。

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大学で国文学を専攻し、国語の教師として働く傍ら、いつの間にか、熊本における漱石の研究の第一人者となっている同級生М女史と話をしていた時のこと。 わたしが、自転車で五家荘へ何度か行ったことを話していたところ、М女史のお祖父さんが泉村で、かつて石工をしていて、五家荘にある石造物の多くを手がけている話を聞いた。それからしばらくして、М女史から2つの文章をコピーしたものが送られてきた。 読んでみると、五家荘の久連子(くれこ)集落に建てられた、兵士の像の事が書いてあった。 ひとつは阿部知二という小説家・翻訳家の「山里」という紀行文で、1941年、久連子に宿を求めた際、日中戦争での戦死者の碑の除幕式に出席したところ、その兵士の像に出会ったことが書いてあった。

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もうひとつは、М女史が、その阿部知二の紀行文を読んだことをきっかけに、亡くなられたお祖父さんの住まいがあった泉村の栗木や、久連子の兵士の像を訪ねたことを書いた、しみじみと心に残るエッセイであった。

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と言う訳で、今回の目的は、その兵士の像に会うことだ。 そんなこんなしている間に甲佐の入口のセブンイレブンで栄養補給し、さらに、お握り数個を購入して国道443号線を上り、ふれあいセンターいずみをパスして少し下って県道52号線へ左折。

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道なりに進んで栗木の昨年閉校した泉第二小学校へ。

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ここの校庭にある二宮尊徳像もM女史のお祖父さんの作らしい。

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そこから県道247号線へ進み、子別峠(こべっとう)へ。

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峠から10mほど端海野方面へ進んだところにあるこの石碑もお祖父さんの作ということ。

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県道247号線を下って五家荘へ。

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国道445号線に突き当たって左折。

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すると前回は工事中だった「五家荘トンネル」が開通していた。

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トンネルを抜けて県道247号線へ右折。

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4㎞ほど坂を上って

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ようやく久連子古代の里に到着。

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ここは久連子の地域文化を伝える施設だが、ほとんどの箇所は開店休業の状態。久連子鶏の飼育場を観て、

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日向ぼっこのおばちゃんに「兵士の像」への道を教えてもらう。 そこから数百m離れた斜面の集落のお堂の横にその四人の兵士の像がひっそりと建っている。

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どの像も墓を他に移す時に魂を抜いたそうだけど、まだ魂が残っているような表情をしている。

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除幕式の時、地区の方が「よう似とんなさる」と言いながら石像を見ながら涙を流す姿を想像してみた。 日中戦争で命を落とした4人の若者の像に手を合わせて久連子を後にする。

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県道247号線を戻り、国道445号線に突き当たって右折。二本杉峠を目指してひたすら上る。

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食事にありつけると思っていた「久連子古代の里」では食事処もやっておらず、お握りも食ってしまい、持参の飴玉で凌いで梅の木轟公園の茶屋まで頑張って上ってきたら、なんと「休み」。

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軽いハンガーノックに陥りながらもやっとの思いで二本杉峠の茶屋へ。

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地鶏うどんとお握りで生き返る。

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付け合わせの、ふきのとうの天ぷらが最高だった。 峠からの急で長い坂を下り、

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砥用商店街を抜けて裏道を走って「森のパン屋」のところから国道218号線に入る。 小筵の交差点から国道443号線へ右折し、甲佐の街中のセブンイレブンで休憩。その後は、朝来た道を帰った。

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本日の走行距離:142.6㎞

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