先週末の地元局のニュースのいくつかで八代の鏡町の事を伝えていたので行ってみる事にした。 朝の用事を済ませて9時半過ぎにカーボンロードバイクで自宅を出発し、出水ふれあい通りを走って中の瀬橋、めど町橋を渡る。
国道266号線、県道313号線、312号線を走り、小川を抜けて、「道の駅 竜北」の食事処で飽きもせずカツカレーをいただく。
県道256号線から県道42号線に入り、鏡町の「赤星公園」へ到着すると、何だか賑わっている。
ここは鏡町出身で、岩手県の小岩井牧場長や三菱地所会長等を務めた赤星陸治氏の実家をお孫さんが町に寄贈し、町が公園として整備したもの。母屋を改築した「水竹居の館」、
寿恵夫人の亡くなられた翌年の昭和9年に赤星家の持仏堂として建立された「六角堂観音」がある。
六角堂観音が建設された当初から、夫人の好きだった牡丹が植えられていたが絶えてしまい、その後、地域の方々の手で色とりどりの牡丹が約100本植えられている。
毎年4月に開催される「六角堂ぼたんまつり」が今年は丁度、今日行われていた。
ちなみに、「立てば芍薬・・・、
座れば牡丹・・・」と昔から喩えており、芍薬と牡丹とは見分けがつかないくらいよく似ているけれど、牡丹は木本性(樹木)で芍薬は草本性(草)なんだと。 ところで、この一帯は江戸時代の文化~文政年間に干拓されたもので、赤星公園から自転車で1分ほどのところには当時の干拓工事の中心人物、鹿子木量平を祀った文政神社がある。
そんなところにある「文政保育園」に、最近設置されたのは、全長7メートル余り、幅、高さとも3メートルの津波避難シェルター2基。
船としての機能を備え、非常食などの備蓄スペースもあり2基あわせると、ここの園児117人と職員26人の全員を収容できる。
保育園は海岸からおよそ4キロ離れているが、何と言っても干拓地のど真ん中なので周辺に高い建物がなく海抜も1メートルほどしかない。 運営する社会福祉法人は8年前の東日本大震災などを教訓にシェルターの設置を決め、山口県の造船会社に発注して造らせた、とのこと。
帰路は一旦、県道14号線に出て右折し鹿児島本線沿いの道を追い風に乗って北上し、
県道256号線から255線に入りJR小川駅から田舎道を北上。
松橋から国道3号線に入り、ウキウキロードへ右折し
県道182号線を北上。釈迦堂橋からは加勢川沿いの道を走って中の瀬橋からは朝来た道を戻った。
本日の走行距離:ちょうど80.0㎞