くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

「阿部一族」めぐり

森鴎外の短編小説「阿部一族」は熊本藩主・細川忠利(ただとし)公の病没の際に君主の許しを得ずに殉死した家臣とその一族の悲劇を通して、形骸化した武士道の掟の理不尽さを描いている。

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この小説は、寛永20年(1643年)に起こった史実を元にしたものなので、小説に登場する人物や出来事の所縁の地を数回に分けて廻ってみた。 過去に撮った画像も利用して、先ずは、主君である細川忠利公からレポートすると・・・。 忠利公は1586年12月21日に細川忠興と玉子(のちの「ガラシャ夫人」)の間に生まれ、

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(泰勝寺跡に建つ忠興とガラシャ夫人の廟)

1620年に家督を譲られて小倉藩主となり、寛永9年(1632年)、熊本藩の加藤忠弘(清正の子)の改易に伴い、熊本藩主となった。

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(水前寺成趣園の銅像)

当時の熊本城は、その7年前に発生した大地震で天守を始め、多くの櫓や石垣が損壊し、加えて火薬庫の爆発により甚大な被害が生じ、多くが手つかずの状態であった。

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(一昨年の地震直後)

忠利公には戦国の世を生き抜いて来た細川家のDNAが受け継がれており、用心深く気配りができ、さらには長い江戸住まいの間に幕府の旗本達とも太いパイプができていて、当時の将軍・徳川家光公の信頼も篤かった。 城の修復・メンテには幕府の許可が必要であり、問題を起せば改易にもなりかねない中、忠利公は周到に修復作業を進め、必要に応じて改修・拡張工事を行った。

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(これに詳しく書いてあった)

また、忠利公は領内を「手永(てなが)」と呼ばれる行政区画に分けて村を束ね、責任者として惣庄屋(そうじょうや)を置く行政制度を導入し基盤整備を行わせた。

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(通潤橋で有名な布田保之助は「矢部手永」の惣庄屋)

武人としても優れる忠利公は「島原の乱」で武功を挙げ、また、宮本武蔵を招くなど武芸の奨励にも力を注いだ。

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一方、利休七哲の一人とされる父・忠興の血を継いで、藩内に御茶屋を建てており、「水前寺成趣園」は忠利公が、この地に御茶屋を築いたのがはじまりである。

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同様に参勤交代の道筋では阿蘇の的石(まといし)にも雰囲気の良い御茶屋の跡が残っている。

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このように県内各地に忠利公の痕跡が今も残されている。

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(「甲佐の鮎やな」にも忠利公が絡んでいる)

さらには、郷土料理の代表格である「辛子蓮根」とも深い縁がある。

 

こうして見ると、加藤清正公の後任とも言える細川忠利公はインパクトという点では清正公には劣るが、藩政時代の熊本、ひいては現在の熊本にとっても無くてはならない「キーパーソン」のひとりと言える。

 

そんな忠利公は寛永18年(1641年)、父に先立って死去した。享年55才。

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遺体は遺言によりJR熊本駅の近くの「岫雲院(しゅううんいん)春日寺」にて荼毘に付された。

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(新幹線開通に伴う周辺整備に合わせてリニューアル)
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(石積みの中央で荼毘に付されたらしい)

この時、愛養の鷹が二羽殉死したと伝えられている。

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(一羽は火葬の炎へ、もう一羽は境内にあった井戸へ飛び込み殉死)

忠利公の家来のうち、19名が殉死したが、小説で描かれているのとは異なり、殉死の許可を下す権限があったのは次の藩主である光尚公であり、彼は忠利の家来の殉死をひとりとして許可しなかった。

 

それにも関わらず、小説の主人公・阿部弥一右衛門をはじめ、家臣19名が同じ日に殉死をしたのが事実であるらしい。

 

ちなみに、わが家の墓がある京町の仏厳寺では、家来のひとりが切腹したと小説に書いてあるが、その事を坊守さんに伺ったら「史実です」とのお返事だった。

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忠利公の墓所の妙解寺(みょうげじ)跡は「北岡自然公園」として整備されていたが、熊本地震の影響で損壊が激しく平成32年度末にならないと修復作業が終了しない予定であるので見ることはできないが、

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忠利公の墓前には小説の主人公・阿部弥一右衛門をはじめ、殉死した19名の家臣の墓が平等に並んでいる。

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(この後、地震で大きな損壊)

その後の阿部家への処遇をめぐって藩と対立してしまった阿部一族。 その屋敷は現在の熊本放送局の社屋が建っている場所にあったことが判明し、

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ポツンと案内板が建てられていた。

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最後に、この小説が発表された時代背景として、明治天皇の崩御に伴う、乃木希典夫妻の殉死事件があるが、乃木の殉死のきっかけのひとつが、西南戦争の際に、植木町での戦いで乃木の率いる連隊の軍旗が薩軍に奪われたこと、であるのも同じ熊本が舞台で、偶然とはいえ、因縁めいたものを感じた。

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(軍旗が奪われた場所)