くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

花岡山と小笠原少斎

どうやら家内の風邪がうつったらしく昨日から鼻水がスタスタ。発熱はないけど、念のため新型コロナの抗原検査で陰性確認をして、

無理せず近場をポタリングしに午前5時半頃クロモリロードバイクで出発。

まずは白川沿いに走って、

花岡山へ。

背後に信者たちが合唱する「南無妙法蓮華経」を聞きながら、

朝焼けの熊本平野を眺める。

その後、下りの途中で、官軍墓地の南にある「殉教の碑」に立ち寄る。

細川家の家老の三男・小笠原玄也とその家族がキリシタンを改宗するのを拒んで、奉公人を含む一家14名が処刑されたもので、横にある大きな自然石が一家の墓標とされている。

その小笠原玄也の父、小笠原少斎(しょうさい)の墓が立田山の南麓、「リデルライト公園」の横にあると聞いたので、数年前に行ってみたのだが、沢山立つ墓碑の中から探し出すことができなかった。

ところが最近、ひょんなことから、案内板が立ててある墓所は小笠原家の分家の墓地で、本家の墓地はもうすこし奥だということが判ったのだ。

花岡山から、玄也一家が斬首された善定寺を経由し、

繁華街と、黒髪町の迷路を抜けて、虫よけスプレーをシュッシュしてリドル・ライト公園の北側の山中の小笠原本家の墓地へ。

中央の付近に目指す小笠原少斎の墓。

小笠原少斎は、元足利将軍家家臣で足利義昭が信長により京から追放された後、細川藤孝(幽斎)の客分となり、やがて細川家の筆頭家老を務めた。関ヶ原の戦い直前、徳川家康の命により細川忠興が上杉討伐に出ている隙に石田三成らは細川忠興の屋敷を包囲し、忠興の正室玉(ガラシャ夫人)を人質とするために連行しようとしたがそれを拒否。彼女は自害を禁じられているキリシタンのため、前もって忠興から命じられていた留守居役の小笠原少斎がガラシャを介錯した後に屋敷に火を放ち、家臣とともに自刃した。

泰勝寺のガラシャ御廟

少斎の嫡男・長元およびその子孫は細川藩主一門と婚姻を重ねて藩の要職に就くなどして現在に至っている。

本日の走行距離:20.2㎞