くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

菊池の「隠れ切支丹」

いつだったか、ネットで旭志の名所旧跡を調べていたら、「津留切支丹墓地」というのがあった。

「隠れ切支丹」と言えば、すぐに思いつくのは天草だけど、県北には山鹿市・菊池市(旭志、上木庭、七城、泗水)などに切支丹墓地が現存しているらしい。

かつてキリスト教の宣教師は長崎平戸や天草から有明海を渡り、菊池川の終点である高瀬(玉名市)から船を乗り換え菊池まで進み、そこから陸路を最短コースの小国・湯布院を通り、当時菊池・山鹿を治めていたキリシタン大名の大友宗麟の待つ豊後府内(大分市)までを往復していたと云われている。 当然ながらその沿線では宣教師による布教活動も行なわれ、多くの「切支丹」を生んだものと思われる。

そこで今日は菊池市内の「切支丹ルート」に散在する史跡を廻ることにする。 午前8時半過ぎにクロモリロードバイクで出発。県道373号線を東へ走り、光の森から左折して県道316号線を北へ。

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泗水に入って右折し、国道325号線を渡って旭志を東へ走る。旭志小学校の少し東側に目指す「津留切支丹墓地」。

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集落の墓地の一角にその墓石群がある。

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表には戒名が刻んであるものの、

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その裏面には十字架を刻んだ墓石がいくつか並んでいる。

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そこから県道23号線に入り、北へアップダウンを走って河原郵便局から右折して木庭へ。

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県道203号線に突き当たって右折し、すぐに左折して坂を上ると右手に案内板が出ていて、それに従って山道を上って行く。

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集落の墓地を抜けて、

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奥の竹藪に切支丹の墓石群。

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藪の中でひっそり佇む様は、一途な宗教心の強さを発しているように感じる。

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道を戻ってさらに上木庭集落の方へ行くと集落の入口に石碑が立っている。

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これは切支丹の礼拝石と伝えられている。

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道を戻って菊池市街地へ走り、菊池高校の正門横にある「わいふ一番館」の「まちかど資料館」へ。

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菊池の史跡に詳しい人からその他の切支丹関係の史跡情報を仕入れる。 「御所通り」と迫間(はざま)川沿いを少しだけ散策して、日田街道を南へ走り、菊池川沿いの道へ右折。

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しばらく走って、七城の前川水源の近くにある「沢村さん」に到着。

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沢村家は細川藩の重臣で、四代目の友武が地元の方から「沢村さん」と呼ばれ親しまれている前川の五輪塔の主。

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友武は風流の人で茶道に精通し、前川の山紫水明を愛し、茶室を造り、風流三昧のすえ、この地に菩提を定めた。この墓地内に灯籠を茶室に見立て、庭を配し切支丹が隠れ信仰をしたと伝えられる。 「沢村さん」前の灯籠は、「キリシタン灯籠」という珍しい灯籠である。 向かって右側の灯籠の、

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膨らんだ部分は三日月が彫られ、さらに横から穴を左右に通した形である。

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この左右の穴に棒を差し込み、全体を十字と見立て拝んだものと思われる。 また三日月は「無原罪の御宿りの聖母」の象徴で、キリシタンの遺物や墓碑、石造仏に描かれているとのこと。 向かって左側の灯籠には下の方に、

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人物らしい彫り物がある。形状からして聖母像ではないかと言われている。

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前川水源で水を補給後、坂を上ってグリーンロードに出て東へ。日田街道に右折して「道の駅泗水」の南側に新築された泗水公民館へ。

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ここの玄関ロビーには泗水の福本地区の墓地にあった切支丹墓碑が展示してある。

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完全な蒲鉾型の西洋寝棺キリシタン墓碑で、

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腹面に元禄12(1699)年の銘と、浄土真宗の法名などが刻まれ、さらに地蔵を供え仏教風に擬装を施している。名を伏せて倒すと本来のキリシタン墓碑となるらしい。 そう言えば、この蒲鉾型の墓石は伊倉でもみたことを思い出す。

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これにてポタリングは終了し、丁度、昼時になったので、隣の養生市場の食事処でカツカレー500円をいただく。

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ここのカツカレーは新システムになっており、ご飯とカレーのルーはセルフサービスになっていて、好きなだけつぐことができ、合理的。 お腹一杯になって、日田街道を南へ走り、北バイパスに出て帰った。

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本日の走行距離:67.8㎞

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