今週末の土曜・日曜は職場の命令により朝9時頃から午後6時頃までのZOOM講習会を受講することになったため、早朝しか時間がなく、早寝早起きをして土曜日は御船、日曜日は大津の石碑を写真に収めに行った。それらに加えて、過去に撮り貯めた画像も使ってレポート。
路傍の石像は大概が地蔵尊だけど、中には地蔵尊でもないし、観音菩薩でもないようなものがあり、そんなものの多くは「道祖神」と思われる。
Wikipedia等によれば、道祖神は、文字通り「路傍の神」である。集落の境や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村を守るとともに、夫婦和合、子孫繁栄、旅の安全の神として信仰されている。
地域により特徴があり、像の種類も、男神と女神の祝事像や、握手・抱擁・接吻などが描写された像などの双体像、酒気の像、男根石、文字碑など個性的でバラエティに富む、とのこと。
熊本県内では残念ながら男女の双体像を見たことはないが、山鹿市の小坂の磨崖仏は集落の入口の北と
南に向き合って彫られており、
住民からは「夫婦地蔵」として大事にされてきた。
ふたつの磨崖仏は集落の入口で結界を張り、悪霊や疫病などの災いの侵入を防ぎ、道行く人の安全を見守る、道祖神の意味合いが強いとされている。
わが家の近くの保田窪中通りは、江戸時代の初めの頃に細川忠利の命によって、農地開発と戦時に備えて「地筒(じづつ)」と呼ばれる熊本藩独自の鉄砲隊の郷士達が入植した地区の目抜き通りで、女神の単体像が今も道行く人の安全を祈って手を合わせている。
また、熊本では珍しい「文字碑」は大津町平川の、平川淀姫神社の近くに立っているため、
地元では「宮本の道祖神塔」と呼ばれ、地元の綱引き神事にも使われている。
それから、県内に数多く存在する猿田彦の石碑は庚申信仰によるものも多いが、元々、猿田彦は天孫降臨の際の道案内を務めたことから、旅の安全を守る神として祀られることも多い道祖神である。
最後は気になる「男根石」だけど、路傍に立っているのは熊本ではほとんど見かけず、ただひとつ、御船町の入口、豊秋地区の小坂小学校の前に凛々しく立っている。
地元では、そのままズバリ「ムクレさん」と呼ばれているこの像は、丸みを帯びた三角柱でできていて、各面に二体ずつ地蔵さんが彫られているため、
「六地蔵」にも分類されてはいるが、どう見ても男根像で、六地蔵と道祖神が習合したものと考えられている。
たぶん、「これ何なんですか?」と聞かれた時に「六地蔵です」と答えるためだろうね。
土曜日の走行距離:33.7㎞
日曜日の走行距離:44.1㎞