午前中の空いた時間に飽きもせず、本日も六地蔵を探索。 出水ふれあい通りを南下して中の瀬橋、めど町橋を渡り、
左折して緑川の左岸を甲佐方面へ走る。
田口橋から右折して、旧道を走り、乙女小学校の近くの五差路の案内板に従って進み、甲佐町の南三箇(みなみさんが)集落へ。
今回は六地蔵のある場所の手掛かりがないので、集落の人に声をかえて、詳しく教えてもらい、そうでなければ気が付かないような脇道に入って
辿り着いた「南三箇の六地蔵」。
今は集落の道路から100m以上も山林へ入ったところだが、かつては隣村の世持(よもち)を経由して船津へ至る道沿いだった場所だと言う。
この六地蔵が建てられた享保17年(1732)は、江戸三大飢饉である「享保の大飢饉」の年で、ここ甲佐でも多くの餓死者が出た。 それを機に建てられたこの六地蔵はそれ以来280年余り地域の人達から大切に守られてきたが、
2016年の熊本地震で倒壊。その後、集落の人達の手で補修されて
再建された。
その幢身には「三界萬霊」の文字が彫られている。
この言葉が刻印されている六地蔵は時々見られる。
「三界」とは仏教用語で、欲界(よっかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)の三つをいう。 欲望につながれて苦しみ迷うものを欲界の衆生といい、美しい形にとらわれているものを色界の衆生といい、美しさへのとらわれは超えているが、なお迷っているものを無色界の衆生という。 これらすべての霊をこの石幢に宿らせているという意味らしい。
今では人里から少し離れてしまった六地蔵に手を合わせ、浜戸川の支流の錦郷川沿いの細い道をのんびり走り、
浜戸川沿いの道に出て、
城南を経由してふたたびめど町橋を渡って来た道を帰った。
本日の走行距離:39.2㎞