くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

「戦国肥後国衆祭り」ライド

よくコメントをいただく「通りすがり」さんからのお薦めで「肥後国一揆」の事を調べていたら、和水町で丁度「戦国肥後国衆まつり」が開催されるというので、周辺の関連史跡巡りも兼ねて見に行くことにする。 午前7時半にクロモリロードバイクで出発し、北バイパスから須屋を経由して高速道路沿いの道を走って

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小野川沿い、合志川沿いから「ゆうかファミリーロード」に入り、国道3号線で山鹿へ。 市街地を抜けて田舎道に入り、城の集落で「城村城跡」の探索をして

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県道195号線に入り、平山温泉を経由して和水町の旧・三加和に入り、「辺春親英の墓」、「田中城跡」、「坂本城跡」などの関連史跡巡り。思ったより寒くって手足が凍えるので、暖をとりに「大塚カレー」で少々早いランチをいただき、

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ホットチャイで体温を上げてお祭り会場の三加和総合支所へ。

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お祭りの紹介の前に、肥後の、いや、日本の中世に終わりを告げた「国衆一揆」の背景を説明するのに、これまで撮り貯めた画像等を使って・・・ 肥後を平定して九州全土を掌握しようとした島津氏に対して天正14年(1986年)、秀吉の九州征伐が行われ、島津義弘は薩摩に戻り、肥後は秀吉の家臣、佐々成政が領主となり

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隈本城(熊本古城)を居城とした。

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(第一高校の北門横の案内板)

当時の肥後には、その土地土地を所有し、民政・軍政を担当していた「国衆」と呼ばれる地侍が五十数名いた。 天正15年(1587年)佐々成政の検地に対して菊池城を居城とする国衆の隈部親永が反発して

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(あんずの丘の隈部親永像)

「国衆一揆」が発生した。圧倒的な兵力の佐々成政側にたちまち菊池城は落とされたが、

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隈部親永は息子の親泰の居城である山鹿の城村城に立て籠もった。

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この動きに呼応して田中城を居城とする和仁親実・親範・親宗の三兄弟は

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姉婿である坂本城主・辺春親行らと

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田中城に籠城して成政に抵抗した。 佐々成政一揆を押さえ込もうとしたが、逆に御船城の甲斐親英(宗運の嫡男)らから隈本城に攻め込まれたため撤退し、

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(その後、甲斐親英は反撃を受けて足や手に深手を負い嘉島町で死亡)

豊臣秀吉に援軍を求めた。秀吉は小早川・立花・鍋島などの諸将に命じて田中城を攻撃させ、交渉僧の安国寺恵瓊の謀略によって辺春氏が寝返り、田中城は落城した。 そして最後まで抵抗した城村城の隈部親子もその10日後、降伏した。

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佐々成政は、秀吉から責任をとらされて切腹。 秀吉は、加藤清正福島正則らの武将を派遣し、反抗した国衆を処分し、検地、課税額の決定を強行。かくして肥後の中世を支配してきた国衆のほとんどは滅んだ。田中城攻防戦の最中、「見返りに一族を守るから・・・」との甘言で寝返った辺春親行も他の国衆と同様に討たれて果てた。

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国衆一揆の翌年の天正16年(1588)、肥後の領主として北に加藤清正、南に小西行長が任命され、ここに肥後の中世は終焉を迎えた。 秀吉の「刀狩り令」発布のきっかけとなった歴史的にも貴重なこの「国衆一揆」を後世に伝えようと和水町では毎年2月の第2日曜日に「戦国肥後国衆まつり」と銘打って、当時の壮絶な戦いの模様を再現しており、今年が41回目を迎える。

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12時過ぎに会場に入ると、「熊本城おもてなし武将隊」の演武がやっており、会場を沸かせていた。

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あら?観衆の中に見覚えあるおっちゃんがいると思ったら、大藪さん!

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しばらくご無沙汰していて知らなかったけど、今日は20名ほどでショップライドしているとのこと。 そう言われてあたりを見ると、ヒツジさんご夫婦や、タナカさんご夫婦、それに、通りすがりさんやN家さんも!

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午後1時からは「南蛮毛物語」と言って、和仁三兄弟の父親の側室が大友宗麟から送られた南蛮(オランダ)女性で、三兄弟の末の「親宗」はその側室の子で身長が2mくらいあり、顔が赤くて鬼のような顔だったという伝説の寸劇。

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大和撫子に見えるが、南蛮人の「マリア姫」と切支丹大名の「大友宗麟」)

その後が、お待ちかねの合戦劇であった。

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(女性兵士も多かった)
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(赤い兜が和仁軍)
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(こちらが豊臣軍)
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それなりに面白かったけど、何様、風が冷たくて凍えて、模擬戦が終わると早々に大藪関係の皆様にご挨拶して、急いで帰路へ。 県道6号線を南下し、県道315号線へ左折して山鹿西部大橋を渡り、米野岳中学校を経由して

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鞍岳もうっすら雪化粧)

宮原のセブンイレブンに寄ったら家庭サービス中のナイチン工場長さんと遭遇!

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(ホカホカの灯籠饅頭、ご馳走さまでした!)

その後、ゆうかファミリーロードに入り、合志川、小野川、坪井川沿いの道を走って帰った。

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本日の走行距離:101.3㎞