ひっさしぶりに家内とサイクリング。 クロモリロードバイクをNBoxに詰め込んで熊本港まで車載し、
私は自転車で、家内は徒歩で始発のオーシャンアロー号に乗り込み島原に渡り、
島原のフェリーターミナルで家内のための電動補助自転車をレンタル。
城下に向けて出発すると途中の海辺で坂本龍馬と勝海舟の長崎上陸地点を発見。
その後は豊富な湧水を利用した街並みや
庭園を散策。
島原城と
その西側の武家屋敷を見て廻り、
島原の乱の一揆軍の食糧に起源する「具雑煮」、
さらには「寒ざらし」を堪能した。
さて今回の島原散策の本来の目的は、アーケード街からすこし東へくだった小高い丘にある「理性院 大師堂」に建つ「天如塔」。
インド食堂のマスターから教えてもらったこの塔には、明治時代に島原や天草の貧しい農家から売られていった「からゆきさん」との所縁がある。 明治33年(1900年)この地に岡山県出身の廣田言証師が理性院(大師堂)を建立。
言証師は40代で不治の病にかかったが、四国88ヶ所の巡礼や、日本全国の霊場を巡り歩いていた。 そんな中、雲仙普賢岳で霊感を得て、この地に大師堂を開山。
その後、言証師は東南アジアに渡ってインドの仏跡を巡拝して回り、その際に60cmあまりの大理石の釈迦如来像を奉持して帰国。 この際、東南アジアで売られていった「からゆきさん」達に遭遇。
異国での過酷な環境の中で命を落とし、故郷に戻ることのできなかった「からゆきさん」達のために供養をおこなった。 その行いが生き延びた「からゆきさん」達の帰依となり、供養塔建設への寄進となった。 明治42年(1990年)に建てられたこの塔は「天竺(インド)の如来様を祀る」ということで「天如塔」と名付けられた。 そして塔を囲む玉垣には「からゆきさん」達の名前が彫られた。
その後、長年の雨風で荒れ果てた状態となり、近年は土鳩の住処となっていたが、
「それではいかんだろう」と市民有志らが募金活動をして、2014年に修復された。
高さ11mの塔の出入り口には普段は施錠されているが、
前夜に電話をかけて開錠しててもらった。
八角形のその塔の内部は上りと下りが別々の二重らせん階段となっており、
所々、非常に狭い箇所がある。 身体の小さい家内を先行させて上って行くと、
途中には死者の成仏を願う各年忌の仏が安置されており、
無事、下り終えれば安産が約束され、
如来像のもとに88回上れば
即身成仏および子孫繁栄、万の願いも成就すると言い伝えられているとか・・・。 いや、なにせ狭くって、一度だけでもギブアップ。
また、最上階の扉を開けて、高所恐怖症なので死ぬ思いで狭い展望テラスを一周すると、360度のパノラマを満喫することもできる。
久しぶりの島原城下を楽しみ、
オーシャンアロー号で帰った。
本日の走行距離:10.7㎞