くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

美女伝説の平川淀姫神社

合志市の竹迫(たかば)は、

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玉名・植木から阿蘇方面へ向かう古道と、菊池から益城・御船方面への古道が交わるところで、交通の要所として栄えた。

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(竹迫日吉神社)

そんな竹迫から、現在は県道49号線となっているかつての古道を東へ走って行くと、あちこちにお地蔵さんなどが道行く人たちを見守っている。

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杉水の集落を抜けて県道を右へ逸れてさらに東へ進むと、

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(震災前の「猿渡の六地蔵」)

「平川淀姫神社」に辿り着く。

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そこに立っている解説板によると、この神社には、次のような伝説がある。 平安の初め、肥前(佐賀県)川上に「玉かづら」という有名な美女がいたが、

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(あくまでもイメージです)

ある時、豊後(大分県)からとも、阿蘇からとも言われている忍びの者たちが、

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この美女を盗み出し、平川まで逃げてきた。

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「玉かづら」は、信仰する淀姫神に一心に助けを祈った。すると、百騎ばかりの侍が現れて、忍びの者たちから「玉かづら」を救い出した。

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そこに、姫の一族の者たちが追いつくと、姫を救った百騎の侍は忽然と姿を消した。これは、淀姫神のお助けであろうと、すぐに宮を建て淀姫宮と名付けた。

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また、侍たちの消えた場所を「百騎帰(ひゃっきがえり)」と呼び、地名として残った。

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「淀姫神社」は佐賀県に多く分布し、淀姫(=与止日女・世田姫・豊玉姫)を祭神とする神社。遠く離れた、ここ平川の淀姫神社は『菊池郡神社誌』によると、戦国時代に創建された。 当時、この地域一帯は広く肥前の龍造寺勢力と豊後の大友勢力との対決の舞台となっており、

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(龍造寺信隆)
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(大友宗麟)

平川淀姫神社の美女伝説も、ここを舞台とした肥前の勢力と豊後・阿蘇との関わりを示すものと言える。 平川地区を散策後は、ホンダの工場のある台地に上がり、「自然食れすとらん 郷乃恵(さとのめぐみ)」を目指す。

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車一台やっと通れるようなアプローチを百数十メートル進んだ先の

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古民家を改装したもので、

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落ち着いた雰囲気の、静かな食事処。

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(ごぼう茶と座禅豆をいただく)

ランチは「豚汁定食」と「だご汁定食」(ともに1200円)のみということで、豚汁の方を選択。

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豚汁定食に1200円は、ちと高いか?と思ったけど、かまどで炊いた玄米・白米の御飯は御代わり自由だし、

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食材が良い上に何より豚汁がボリューム満点、付け合わせも色々で、ある意味コスパ良好。 女将さんとしばらくお話をして帰路へ。 国道325号線に出て南下し、豊後街道を西へ走って

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そして無事帰宅。 本日の走行距離:54.6㎞

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