梅雨も後半に入ったと思った途端に中休み。わが家は七月盆なので、送り盆のための墓参りの準備を済ませた後、1時間程ポタリング。
加藤清正関係の史跡なら、大概廻ったつもりであったけど、地元ケーブル局の番組「ひご散歩」で、下硯川に「暮の坂」という史跡があるのを紹介していたので、探しに行った。
場所は西里小学校近くの、県道31号線(熊本田原坂線)と県道332号線(小天下硯川線)の交差点近く。
南東に数十メートル脇道に入ったところに石碑を見つけた。
石碑によれば、加藤清正公が玉名郡横島干拓の折、早朝に熊本城を出発し、吉次峠を経て七里の行末塘の工事を監督し、帰りにこの坂を上るのは丁度夕暮れになる頃であった。故にこの坂が「暮の坂」と呼ばれるようになった。その後、明治10年の西南戦争の時には吉次・木留付近の負傷兵を熊本へ送ったり、薩軍を破った官軍がこの坂を熊本に向かったという。
坂を上ってみようかとも思ったけれど、昨日までの雨の影響で道がぬかるんでいるのと、藪蚊が多いので諦めた。
まだ少し時間があるので、「ゆうかファミリーロード」に行って、熊本西環状道路の花園IC方面へ少し進んだところにある、「柿原養鱒場」へ。
行ってみると、アクセスが良くなったのを機に「御手水(おちょうず)の森」という名前に変わっていた。
ただ、園内は以前とあまり変わりない様子で、
芭蕉や、
メタセコイアの並木など緑が溢れかえっており、
崖からは清らかな水が幾筋も湧き出している。
健磐竜命(たていわたつのみこと)が手を洗ったと言われる
由緒ある清水を求めて清正公も足繁く通ったという水源を散策して帰路へ。
再び、雑草が侵入して狭くなった「ゆうかファミリーロード」で上熊本へ。
本妙寺の参道から左折して、藤崎宮経由で帰った。
本日の走行距離:24.3km
ご要望に応じて、「暮の坂」の石碑の詳細地図写真を・・・。