菊池市の西端で山鹿市菊鹿に接する堀切地区には、約100年前に住民により鋤、鍬などで掘られた6本のトンネルがある。 これらは「堀切隧道群」として知られており、ほとんどが現役。これまでに1008さんをはじめ、みきたかさん、アンカー星人さんもレポートしていたので、周辺の史跡巡りも兼ねて訪ねることにする。 北バイパスから須屋を経由して県道37号線に入り、北上すると野々島あたりから
菊池平野にかけて霧が出ている。
山鹿市菊鹿に入る頃には霧も晴れてきて、黒蛭地区から右折。緩い上り坂をしばらく進むと、短い切通などもあり、
さらに進むと最初のトンネル。
さらに100mほど進むと、次のトンネル。
黒蛭側には石碑が建っていて、
裏に書いてある文章を要約すると、
この隧道は菊池の隈府から鹿本の来民に至る道を整備するために堀切地区の三十戸の住民の手によって明治33年3月に起工し、同年5月には開通。 掘削面は手掘り感が満載で、
壁に窪みがいくつかあるのは避難用のスペースか?
堀切地区に出て左折し、木野神社の先から左折すると3つ目のトンネルの入り口が見えてくるが、その手前を右手に上ると、廃道になったと思われる短いトンネルがひとつ。
出入り口には竹が生え、路面もかなり荒れていた。
戻って、4つ目のトンネル。
そのすぐ先にも短いトンネル
さらにそのすぐ先に本格的な長さのトンネル。
地元での正式な名前は「池ノ尾間歩(まぶ)」で調べてみると「間歩」というのは坑道の意味らしい。
堀切地区側には数十メートルにわたり手掘りの壁が残っているが、
その先はその後の改修により、石や
金属、
コンクリート
などにより補強されている。
さて、ここらの地質は「溶結凝灰岩」という、高温の火山灰等が堆積後に自分の熱で溶けて固まったものである。
阿蘇にカルデラが形成された約9万年前の大噴火の時に放出された火砕流は現在も熊本県北部を広く覆っており、ちょっと「台地?」って感じのところはほとんどがこれによって形成された火砕流台地である。 この地質は比較的掘削しやすい地質らしいが、住民みずから道具を手にして掘ったこれらの隧道群はその後の改修などの保守を経て凛とした美しさを保っている。
トンネル探索の後は、可愛い仁王像が印象的な
もう少し脚を伸ばして、あんずの丘の「アン」で
スイーツを堪能。
上内田川沿いの道を南下し津袋から右に折れ、来民の旧道を走り、
ゆうかファミリーロードに入って、分田橋を渡って左折。
合志川沿いの道を走り、小野川沿いの道の途中から右折して植木の「たりとっと」へ。
アンカー星人ご推薦のこのお店はカレー屋さんで、母体は青果店。
オーダーをして、食べ放題のサラダバーに三往復したところで
注文した「ポークカツカレー」がやってきた。
ルーにも刻んだ野菜が多量に入っており、とろみもそこそこ付いているので、「お子様カレー」っぽいかな?と思いきや、スパイスも結構効いている。
サイドプレートも手がこんでいる。
カレーを堪能したのち、サラダバーにもうひと往復して、お腹いっぱいになって店を出る。 豊前街道に行って南下し、楠野町から左折して坪井川沿いの道を走って帰った。 本日の走行距離:70.8㎞