わたしの愛用しているロードバイクのフレーム素材は「クロモリ」。
鉄に少量のクロムモリブデンを混ぜた合金である。ロードバイクのフレームとしては重く、競技には向かないものの、乗り心地がしなやか。 よく考えてみると、「鉄」は人間の身体に不可欠のものであり、「鉄器」は人間の文明と共に歩いて来た歴史がある。
しかし、個人的には、鉄器の歴史と言えば、高校の世界史で鉄器を使い始めた「ヒッタイト」を覚えているのと、あとは「八幡製鉄所」くらいで、鉄をどのようにして作ってきたのかもよく知らない。
そこで「鉄器」の歴史について調べてみると、日本でも「たたら製鉄」として、古代から鉄を作っており、熊本でもその遺跡があちこちに残っていることが判ったので今年からサイクリングのついでに、チョコチョコとその史跡を見に行っているところ。 今日は県内でも「たたら製鉄」が最も盛んだったと言われている玉名から荒尾にかけての小岱山の周辺をロードバイクで回ってきたので、撮り貯めた他の史跡の画像なども加えてレポート。
たたら製鉄とは鉄鉱石の乏しいわが国で始められた製鉄で、鉄原料として砂鉄を用い、木炭の燃焼熱によって砂鉄を還元し、鉄を得る方法であり、その始まりは5世紀から6世紀ごろと考えられている。 粘土で作った炉に、山や海や河原で取れた砂鉄を木炭と一緒に入れて、高い温度で熱すると砂鉄は溶けて、砂鉄の中にあった不純物と鉄とに分かれる。こうして、砂鉄の中から鉄だけを取り出し、生活用品や農具、武器に加工された。炉の中を高温にするためは、多量の風を送り込む必要があり、その際に風を送り込む道具を「たたら」といい、たたらを使った製鉄方法を「たたら製鉄」と呼ぶようになった。
全国的にみると「たたら製鉄の遺跡」は、原料である砂鉄の豊富な中国地方や東北地方に集中しているが、中九州も主要な生産地の一つとなっていた。
熊本県内の製鉄遺跡の分布は、県内全域に及ぶものの、
その9割以上は金峰山の「三の岳」の北麓、宇土半島の大岳周辺、そして小岱山周辺の3カ所に集中している。 宇土半島の、大岳の南麓の大見川の川岸には「大見川原製鉄跡」の標柱が立っており、
三の岳の北麓には「むくろじ製鉄所跡」や
「西原製鉄遺跡」などの史跡が残っている。
そして本日訪れた小岱山周辺は、たたら製鉄跡地の最も密集した地域で、30を超える遺跡が確認されており、「小岱山製鉄跡群」と呼ばれている。
そう言えば、アニメの「もののけ姫」では、人間の文明の象徴として「タタラ場」が出てきて、
老若男女が働いている様子が描かれていたが、
これは現在でも奥出雲に残る江戸時代からの「たたら製鉄所」をモデルにしたものである。 残念ながら、熊本でのたたら製鉄跡群のほとんどが、操業していた時期は平安時代の始めから鎌倉時代にかけてで、小規模の製鉄炉で砂鉄を溶かして取り出すために、そのつど炉は壊されていた。そのため、その遺構の多くは風化してしまっているが、小岱山の東麓に遺る「六反製鉄所跡」では
炉跡が良く残っており、往事の製鉄の様子が偲ばれる。
実物は見ることができなかった玉東町の「西原製鉄所跡」の炉跡の写真とも良く似ている。
平安時代の玉名郡司を治めた在地豪族の日置(へき)氏はこのような製鉄と須恵器の生産を政治・経済の基盤として栄えた。
玉名市立願寺の「疋野神社」は、この日置氏の氏神を祀る神社である。
その主祭神は波比岐神(はいきのかみ、はひきのかみ)で「製鉄の神」として祀られている。
小岱山周辺では豊富な砂鉄資源があり、木炭を焼くための森林が広がって、水もあるので製鉄をするのに絶好の条件がそろっており、九州でも有数の製鉄遺跡群となっている、とのこと。 それに、ここ玉名が、広大な菊池川流域の米作文化を集約する場所であった事も大きかったんじゃないかな、と感じた。 本日の走行距離:33.3㎞