昼から用事があるので金峰山へ。 峠の茶屋から右折して芳野のJAから直進し
金峰山の三の岳、二の岳の中腹をグルっとまわって、
面木(おものぎ)を経由して松尾東小の所に降りた。 そこからの帰り道、熊本を代表する民謡の、「おてもやん」の所縁の地を廻って来た。 まずはJR熊本駅の新幹線口の「おてもやん像」。
この像は熊本民踊会が会の創立25周年を記念して市に寄贈したもので、以前は熊本交通センター前にあったが、桜町地区の再開発に伴い平成27年8月に移設。作者は熊本大学教授の石原昌一氏。
JR熊本駅の南側には駅周辺の再開発に伴ってできた春日三丁目の空き地を使用して、「おてもやん公園」や、
「ぼうぶら公園」などが整備されている。
祇園橋際には、「おてもやん」の生みの親といわれる永田イネさんとおてもやんの像。
「おてもやん」の発祥には諸説あるが、その中で有力とされているのが江戸末期に花柳界で唄や踊りを教えていた永田イネさんという女性が作ったという説。 そして「おてもやん」のモデルとされるのが、永田イネさんのお弟子さんの富永登茂(とも)(通称チモ)。 当時は敬称を、目上の人には「さん」、同等の人には「ちゃん」、目下には「やん」としており、娘ほどの年齢差のあった「チモ」の呼び名の「おチモやん」が「おてもやん」と変化したとも言われている。 古い町並みを抜けて走り、
五福まちづくり交流センターへ行くと、その一角には永田イネさんの写真をはじめ、
使ってたクシやかんざし、
勧進帳、
演目帳
などが展示されている。 永田イネさんは昭和13年12月16日、84歳でその生涯を閉じ、代継橋近くの泰巌寺の墓所で静かに眠っている。
お墓の上部には扇があしらわれ、墓碑には彼女の芸名「亀甲屋嵐亀之助」の名前と亀甲の紋が刻まれ、花立には鼓があしらわれている。
永田イネさん自身も「おてもやん」に唄われているような頑固かつ屈託のない熊本女性の代表だったことがそのお墓からも想像できる。 「おてもやん」を口ずさみながら「おてもやん」が大勢歩いている繁華街を抜けて帰った。
本日の走行距離:57.6㎞
追記)そんな訳で午後からは市民会館で、ハワイアンな「おてもやん」たちの、
エキゾチックな踊りを、
心行くまで堪能した。