くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

モースの足跡辿って竜北・高橋

明治期に熊本を訪れた外国人なら、いつかレポートしたジェーンズ、それからラフカディオ・ハーンが良く知られているが、大森貝塚で有名なモースも熊本に来ている。

今朝は5時半過ぎにカーボンロードバイクで出発し、モースに所縁の竜北、高橋を廻った。

予想外の分厚い雲

アメリカ人の生物学者エドワード・S・モースは進化論の観点から腕足動物(2枚の殻を持つ海産の底生無脊椎動物)を研究の対象に選び、

腕足動物の代表格の「シャミセンガイ」

 

明治10(1877)年39才の時に、多くの種類の腕足動物が生息する日本を訪れた。

来日時に撮影

横浜に上陸して新橋へ向かう車窓から大森貝塚を発見し、これが日本で初めての科学的な発掘調査となった。その2年後の明治12年、41才のモースは九州を訪れた際に、高橋から八代へ人力車で往復する間に竜北町で大野貝塚を発掘した。

その大野貝塚は調査が行われた後に、竜北東小学校が建設されて残念ながら貝塚のほとんどは整地されてしまった。その後小学校は移転し、現在、敷地は竜北公園となっていて、

貝塚だったかつての面影はなく、斜面に一個だけ貝殻を見つけ出したが、その中身を食べたのは古代人なのか、それとも現代人なのか?

竜北公園から国道3号線を1㎞ほど南下し、左手の旧薩摩街道へ。

坂を上がると薩摩街道の八里木跡があり、

さらに少し走ると左手も大きな2本のクスノキが見えてくる。

「法導寺薬師堂のクスノキ」と呼ばれるこの樹は、平安末期建立の法導寺が廃寺となり、その御本尊の薬師如来を祀るために薬師堂を新たに建立した時に植えられたという。150年前にここを通ったモースはこの樹をスケッチしている。

その絵が彼の残した本(「日本その日その日3」)に載っていたので、

モースがスケッチをしたと思われる場所に立って、わたしめもパチリ。

旧街道を氷川まで走り、

宮原のセブンイレブンで燃料補給後は、鹿児島本線の西側を走る道にでて北上。いつもの県道255号線で小川駅まで走り、

鹿児島本線と並行に走る田舎道を走って松橋を抜け、県道14号線に入り北上していると無念のパンク!

復帰に時間を要したので、この先行くはずだった高橋をパスしようかと思ったけど、その高橋出身の家内が腹かくといけないので、回り道して高橋へ。

というのも、モースは高橋でも大きなクスノキをスケッチしているのだ。

高橋には大きなクスノキが2つあるけど、モースのスケッチを家内に見せたら、「高橋西神社の方のクスノキでは?」とのことだったのだ。

実際に行ってみると、高橋東神社のクスノキは周囲に民家が立て込んで枝ぶりを確認できる場所が少なく、判別が難しい一方、

高橋西神社のクスノキは道路から見やすく、枝ぶりもスケッチに似ており、その背後の建物が神社の本殿だと仮定すると、やっぱり高橋西神社のクスノキ説が当たっているように思えた。

モースは、その後も2年後に日本を訪れ、計4回来日した。

最初は腕足動物の研究目的だったが、日本各地を訪れるうちに、次第に日本の文化に魅了されるようになり、後半は多くの民具や陶器などを購入した。また、膨大な数のスケッチを残しており、それらを見るだけでも興味深い。


最後に、モースの残した言葉を3つご紹介。

晩年のモース

「この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど、自然のあらゆる形況を愛する国民はいない」

「日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない」

「私は今までにこんなに人が働くのを見たことがない」


高橋からは県道を東へ走り、白川沿いを走って帰った。


本日の走行距離:74.3㎞。