くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

「四時軒」訪問

慣れない草取り作業に伴う腰痛に耐えて町内清掃作業を終了し、ひと息ついてちょっとだけポタリングに出かける。

目的地は今年公開再開された「四時軒」で、ついでに横井小楠に関係のある場所も廻った。

高橋公園の「横井小楠をめぐる維新群像」

熊本市の東部、沼山津(ぬやまず)の秋津川沿いにある「四時軒」は幕末維新の開明思想家として知られた横井小楠の旧居である。

小楠は文化6年(1809)肥後藩士横井時直の次男として、内坪井(現熊本市坪井)に生まれた。

家長である兄・時明(ときあき)とともに水道町、

相撲町と移り住み、

この間、細川藩の家老・長岡監物らと藩校・時習館の改革を断行した。

安政元年(1854)、兄の死去に伴い家督を継いだ小楠は翌年、城下からこの沼山津の地に移り住み、四季の眺めを楽しむというところから「四時軒」と名付けた。

小楠は、明治元年(1868)新政府に招かれ、参与となり京都に向かうまで、ここで門下生の指導いあたった。この間に彼の思想を受け入れた福井藩に四度も政治顧問として招聘され、藩政改革に力を注いだ。土佐の坂本龍馬はじめ多くの維新の志士達がここを訪れている。

この旧居は明治の頃に客間だけを残して焼失したものを再建し、旧態に復したが、平成28年熊本地震の際に全壊した。その後、文化財としての価値を損なわないよう、復旧工事を行い、今年2月に公開再開した。

久しぶりに史料館も見学。

お堅いイメージの横井小楠だけど、実は酒好きで酒癖が悪く、

何度も失態を犯している。加えて口も悪く、早急な改革を唱えたことから政敵から付け狙われ、最期も刺客に襲われたものであった。

中央が小楠

しかしその思想は現代にも通じるものであり、死後、時間を追うごとに評価は高まった。

「四時軒」から少し離れた「小楠公園」の巨大な頌徳碑と

銅像、

それに遺髪墓碑を見て帰った。

本日の走行距離:25.6㎞