くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

女性の地位向上を目指して・・・

今年で49回目を迎える「RKK女子駅伝大会」は、高校・中学生の71チーム、一般の部の286チームが出場し、熊本県総合運動公園の「えがおスタジアム」とその周辺で行われた。
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わたしの職場からも3チームが出場するので、職場で朝の用事を済ませた後、応援に出かけた。 男性の様なスピードや迫力には欠けるが、女性特有のしなやかさと華やかさが印象的。
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その後は阿蘇くまもと空港を経由して
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益城町の杉堂へ。
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「潮井自然公園」の一角に、以前は津森小学校の近くにあった「四賢婦人記念館」が
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(かつての四賢婦人記念館)
昨年3月に新築公開されている。
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(四賢婦人を輩出した矢嶋家住宅を復元している)
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近代日本における女子教育や婦人解放運動に尽力し、今日の男女共同参画社会の礎を築いた竹崎順子・徳富久子・横井つせ子・矢嶋楫子は『熊本の猛婦』、あるいは『四賢婦人』と称されている。 『四賢婦人』を輩出した矢嶋家は益城町一帯を治める庄屋で、彼女らを産み育てた母・鶴子は革新的な女性で当時、女性には教育はいらないとされていたが、近所の寺子屋に通わせ、自筆の百人一首、古今の序、三十六歌仙などを巻物にして与えるなどして姉妹を教育した。 七人の姉妹の中で、四女の久子は徳富家に嫁ぎ、
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蘇峰・蘆花兄弟を厳しく育て、五女のつせ子は横井小楠の後妻として嫁ぎ、
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共に良妻賢母として生きつつ、女性教育の必要性を感じ、他の姉妹の活動を支えた。 三女の順子は横井小楠の弟子である竹崎律次郎に嫁ぎ、夫を支え、夫の死去後、キリスト教に入信し洗礼を受けた。
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女子教育の必要性を提唱し明治22(1889)年『熊本女学校』を創設。多くの人材を世に送り出した。 熊本女子校はその後、「大江女子高」、
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「フェイス女学院高」と移転改名し、
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2009年には開新高校に合併され廃校となった。
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六女のかつは、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主で25才の時に富豪の林家に後妻として嫁いだが10年後に離婚。上京を機に「楫子(かじこ)」と改名。妻子持ちの書生の子を産み育てるなど、波乱の人生を生きた。
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後年はキリスト教に入信すると教育者として、そして婦人の人権を高める活動を国内外に行い、まだ女性が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、婦人福祉のためにその一生を捧げた。
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(津森小学校に建つ顕彰碑)
「四賢婦人記念館」の見学の後は、布田川断層が横切る潮井水源に立ち寄り、
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さらには杉堂の集落にある「矢嶋家屋敷跡」や
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「矢嶋家墓地」を見て廻った。
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帰路は木山川沿い、秋津川沿いを走るつもりだったけど、道路工事で寸断されているため途中から県道28号線と木山往還を走って帰った。 本日の走行距離:47.3㎞
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