くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

人の名前のつく橋めぐり

先日、矢部の浜町まで行った帰り道、県道221号線の軍見(ぐみ)坂を下ったところにある橋の親柱に恐竜のレリーフが刻まれているのをデジカメに収めていたら、その橋の名が「木倉太郎兵衛橋」であることに気づいた。

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木倉太郎兵衛は、江戸初期の寛永・天和の頃、およそ四十四年間にわたり木倉郷の惣庄屋として木倉、御船、滝尾の各村に合計九ヶ所の用水井手を掘るなど、水利事業に尽力。 その遺徳を顕彰して橋の名としたらしい。

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自転車くまさんのブログにも書いてあったが、人の名前をつけてあるの橋がいくつかあるでクロモリロードバイクで廻ってみた。

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熊本市内では東バイパスが江津湖(正式には加勢川)を渡る「江津斉藤橋」がある。

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これはいつか、「中村汀女」さんの句碑を廻った時にも紹介したが、橋付近の地主で画図村村長だった斉藤清房(汀女さんの父)が私財を投じて1929年(昭和4年)に掛けた木の橋が「斉藤橋」と呼ばれていた。現在は「江津斉藤橋」として国道57号の一部となっている。

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宇土の太郎兵衛橋

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架けられた川は浜戸川であるが、江戸時代は緑川であった。橋から少し下手で

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「太郎兵衛」という人が渡しをしていたことが当時の絵図に記載してあるそうで、その太郎兵衛さんに因んで「太郎兵衛橋」と名付けたとのこと。

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また、同じく浜戸川の、最も下手にある「次郎兵衛橋」は、

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聞くところによると、「次郎兵衛」という人がいたからではなく、「太郎兵橋」の後に造ったので「次郎兵衛橋」にしたとのこと。

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ちなみに、このような太郎、次郎の名付けは、嵯峨天皇(在位:809年5月18日~823年5月29日)が第一皇子以下に対して「太郎」、

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「次郎」、

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「三郎」

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といった幼名を授けたことに由来するらしい。 さて、折角宇土まできたので、久しぶりに宇土駅前の「NICO」で開店時間まで少し待って、同じくクロモリロードバイク乗りのマスターが作る

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「禁断のポークビンダルー」を堪能。

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本日の走行距離:47.1㎞

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