くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

「浜線」の「浜」

先日、二の井手沿いの旧・浜線を走った時、「ところで、何で『浜線』って言うんだ?」という疑問が湧いた。

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(こちらは浜線バイパス沿いの看板)

その道が日向往還であることから、「ひょっとして・・・」と思って調べたら、案の定、「矢部の『浜町』に至る道」ということで「浜線」となったことが判明。 そんなこともあり、矢部の浜町へ。 朝5時頃カーボンロードバイクで出発し、御船町に入る頃には東の空が明るくなってきて、

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国道445号線に入り、

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ひたすら坂を上って、下って、上って、下ると矢部の浜町へ。

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(浜町の入口にある日向往還の道標)
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(浜町の街並み)

矢部の中心地である浜町。この名の由来は「浜の館」からきている。

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「浜の館」の主である阿蘇大宮司は古来より阿蘇神社で火山信仰の祭祀を執り行っていたが、平安時代になると中央貴族とのつながりを深めて財力を蓄えて行き、次第に武士集団の長となり、阿蘇、上・下の益城、飽託、宇土を領主とするようになった。当初、阿蘇谷に造られた居城の住まいである「浜の館」を、一時、南郷谷に移した後、交通の要所である矢部に移した。

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(浜の館の復元図)

矢部の「浜の館」は矢部高校のところにあり、構内にはその遺跡の一部が保存されている。

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こうして13世紀初頭にこの地に移ってから、島津氏に押されこの地を離れるまで380年間に渡り、政治軍事経済の中心となったのが「浜の館」である。

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(その敷地は現在の矢部高校の敷地と同じくらい)

「はま」は阿蘇地方では広々とした平地の意で、山間地のやや広い平坦盆地には湧水が多く,水田が「浜」のように見えたからとも言われている。

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「浜の館」がなくなった後、江戸時代になると、その近くの街並みは「浜町」と呼ばれるようになり、現在に至っている。

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浜町では湧水を活かした日本酒や焼酎の製造が盛んで、

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(西南戦争の時には西郷隆盛も宿泊した「通潤酒造」)

また、9月の初旬に行われる八朔祭りは、自然の物を利用した町内会毎の造り物が人気を呼ぶが、今年はご多分にもれず中止となり、街のあちこちでは去年の造り物が寂しそうに飾られていた。

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(おっと、このアマビエとユニコーンは最近造った疫病対策だろうね)

そんな事をしているうちに8時になって小腹も空いて来たので、浜町にある丸重本舗で

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「矢部のケンチキ」のモモ肉(400円)を購入し、途中のコンビニで調達したお握りとで栄養補給。

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ちなみに「矢部のケンチキ」の「ケンチキ」は、材料である鶏肉とスパイスを厳選した「健康チキン」の略とのこと。

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帰路は国道445号線を戻り、北中島の交差点を右折して県道57号線を走り、

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御船町田代の先からは県道221号線に入り軍見坂を下って御船を抜け、足手荒神、西無田橋、健軍商店街、京塚を経由して午前10時過ぎに無事帰宅。

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(西無田橋から)

本日の走行距離:84.5㎞

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