くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

平家伝説の古道を訪ねる

いつものように早寝早起きして、暗いうちにカーボンロードバイクで出発。

京塚を経由して自衛隊の健軍駐屯地の東側から木山往還を東南へ走り、秋津川沿いの道に出て東へ進み、益城総合運動場の辺りで木山川沿いの道に入る頃に空が白み始めて来た。

県道28号線に突き当たって東へ進み、津森の郵便局から右折して、路傍に掲示された、ありがたいお言葉を噛みしめながら、

きつい坂を上がる。汗びっしょりになる頃には上りが落ち着いて、ゴルフ場に突き当たって右折し、また坂を上がる。

阿蘇ミルク牧場を経由して坂を上がり、山西吉無田線との交差点を直進し、通称「ケニーロード」へ突中。

この頃から朝日が当たり始めるのを覚悟していたけど、今日は外輪山に雲が掛かっていて、

しかもケニーロードの南阿蘇の所で通行止めになっているらしく、バイクのけたたましい音もなく、静かに坂を上って行く。

10%くらいの勾配の坂がはてしなく続くが、やっとの所で少し下って十文字峠に到着。

ここは、かつての交通の要所で、大津から現在の西原村山西を経て矢部に至る道と、御船から地蔵峠を越えて南郷谷に至る道がここで交差したことで「十文字」の名がついた。

坂バカ軍団「地蔵峠倶楽部」のINA隊長が、ここから古道をウォーキングして「小松姫塚」を訪問したのをリポートしていたので、行ってみるのだ。

ただし、ここからウォーキングを開始すると、かなり時間がかかりそうなので、もう少しケニーロードを上って、水場を過ぎて、もう少し上ったところにある林道からウォーキングを開始。

ランニングシューズに履き替えて、

虫よけスプレーを身体中にシュッシュッとして上り始めると、ゲートに鍵がかかっていおり、難儀しながら脇をすり抜けたが、結果的にこれが本日最大の難関であった。

生憎、買った時の値段お高めのカーボンロードバイクを駐輪しておく適当な場所がなかったので、押して行って600mほど砂利道を上って行くと

次第に斜度が緩くなってきて十文字峠からの道が合流し、

左側が十文字峠からの古道

 

さらに300mほど進むと地蔵峠方面への古道が分岐するので、そちらへ。

50mほど進むと、右手に「小松姫塚」の標識があり、

辺りには道標と、

猿田彦大神と、

そして、目指す「小松姫塚」がひっそりと立っている。

平安末期の平清盛の嫡男、平重盛(たいらのしげもり)は都の六波羅の小松谷に居を構えていたため、「小松殿」と呼ばれていた。

壇ノ浦の戦いに敗れた平家一族の多くは落人となり、重盛の一族は大分から阿蘇を越えて矢部方面へと逃げた。

その途中、重盛の幼い娘(小松殿の姫)は、南阿蘇の南郷谷から難所の地蔵峠を越えたところで力尽き、ここに埋葬された。

これを不憫に思った地元の人がこの塔を建てた。

「小松姫」を失った一行は、その後、追手の届かぬ矢部の奥地の渓谷まで逃げて隠れ住み、一族の慕う小松内大臣に因んで一帯を「内大臣」と呼ぶようになった。

ちなみに、この悲しい物語は、「地蔵峠倶楽部」のINA隊長の頭の中ではすでにテレビドラ化がされており、主演の小松姫役は芦田愛菜ちゃんと決定しているそうな。

道を戻ってSPD-SLシューズに履き替えて道をヒュンヒュン下っていると晴れて来たので

山西吉無田線の交差点を右折して坂を下り、大津町錦野の交差点からはこの時間帯、木陰の多い県道145号線を

ひたすら西へ。

市街地に戻るとすっかり夏空が広がっていた。

本日の走行距離:63.4㎞