自転車通勤の帰り道に、学生時代のうちの2年間を過ごした熊本大学黒髪キャンパスに立ち寄り、久しぶりに構内を散策してきた。 通称「赤門」と呼ばれている五高の表門から
サインカーブの通路をぬけると、
マントに下駄姿の「剛毅木訥」な五高生像を
右手に見て中門へ。
蘇鉄が植えられたロータリーを望む本館の五高記念館は現在、地震による損壊の修復工事中。 さらに同じく国指定重要文化財の化学実験場も修復工事中。
五高記念館の周囲には五高時代を偲ぶ「第五高等学校跡の碑」や
五高寮歌「武夫原頭(ぶふげんとう)」の歌碑が建てられている。
ちなみにこの「武夫原」とは第五高等学校の広大な運動場のこと。
その「武夫原」の南側の体育館の前には「嘉納治五郎先生の碑」。
第三代校長の嘉納治五郎が揮毫した書が転刻されている。 この「順道制勝行不害人」とは「道にしたがえば勝を制し、行いて人を害なわず」と読み、治五郎が自ら創始した講道館柔道の極意を表している。 治五郎の他には五高の英語教師として赴任していたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)先生のレリーフや、
彼の後を継いだ夏目漱石の銅像も建てられている。
この他にも目を凝らすと、細川藩の薬草園「蕃滋園(ばんじえん)」が1890(明治23)年廃園になり、薬木薬草150余種が五高に寄付されたことを記念して建てられた「樹木園由来の碑」や、
1931(昭和6)年熊本で行われた陸軍特別大演習のため昭和天皇が来熊し、五高にも訪れたことを記念して建立された「行幸記念碑」などがひっそりと建っている。
図書館の周囲の銅像を眺め、
旧・国道57号線を渡って黒髪南地区のキャンパスへ入ると、熊本高等工業学校本館として1924(大正13)年に竣工し1922(大正11)年に焼失したため再建された「事務局本館」が以前と同じ姿で建っている。
残念ながら、国指定重要文化財である工学部研究資料館は復旧工事中につき、小振りな「文書館」の赤煉瓦を眺めて帰った。