くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

南区の干拓地めぐり

昨日と一昨日の黄砂飛来の影響がまだ残る朝、クロモリロードバイクで出かける。

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流通団地の平成大通りの中央を流れる天明新川を辿って

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南高江、川尻、さらに天明の干拓地へと進むと行き着く海路口(うじぐち)町が本日の目的地。

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熊本市の南西部、白川と緑川の河口部に挟まれる地域は鎌倉時代から干拓が行われてきた。

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その干拓地の中でも南部の海路口地区には

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江戸時代に藩直轄の事業の財源を目的とした農地開拓が行われた地区がいくつかあり、例えば、本邦初の藩校である「時習館」の運営のために開発された地区は「学料」と名付けられ、現在でも地域の名前としても残っている。

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海を切り開いて造成した干拓地には、水神の化身でもある龍を祀る神社が造られる事が多く、

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海路口町にもこの地区を水難から守るべく、三つの龍神社が造られてきた。

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寛政の大津波ではこの干拓地でも多くの犠牲者が出た。隣町である川口町にある「良覚寺」には周辺地区で犠牲となった186名を弔う供養碑が建てられている。

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昭和2年9月13日、推定風速55メートルの台風が有明海を横断し、未曾有の大潮害が熊本県の旧飽託郡、玉名郡、宇土郡の海岸を襲った。満潮時と重なり、潮位は高いところで20尺(6m)以上となった。 堤防を破壊し海水は場所によっては堤防から4500mの内陸までに及んだという。 熊本県全体で死者413名で2600 戸が流失した。海路口地区での犠牲者は111名。 堤防の修復が終了した昭和5年には「復興記念碑」が堤防脇に建てられ、高潮での溺死者の法要が現在でも毎年この碑の前で行われている。

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さて、その海路口地区を廻ってたら、海路口公園の近くの龍神社の横のトマト農家の庭先に無人販売所があったので立ち寄った。

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店内にはトマトの自動販売機があり、

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200円から20000円ほどの色々な大きさや色んな味のトマトやドライトマトなど、

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栄養価にもこだわったというトマトが販売されている。

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残念ながらサコッシュを持参してなかったので200円の甘い豆トマトを購入し、その場で堪能。

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その後は、堤防道路に入って、

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ノリ養殖の漁港を巡りながら、

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ぼんやりと見える金峰山を眺めながら帰路を急いだ。

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本日の走行距離:52.5㎞

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