くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

金峰山周辺の供養碑めぐり

午前6時半頃クロモリロードバイクで出発し、

明午橋を渡って藤崎八幡宮の参道から県道1号線に入り、本妙寺の本堂脇にある寛政の大津波の犠牲者を供養する宝篋印塔を写真に収める。

さらに坂を上って鳥越峠から左折して、

数百メートルして右折し、山の神さんに挨拶をして、

少し坂を下って左折して、金峰山の北登山口の仁王さんにも挨拶をして、

二の岳、三の岳を右に眺めながら走る。

面木(おものぎ)の馬頭観音、不動明王、それにおそらく寛政の大津波の犠牲者を供養するためのお地蔵さんに、まとめて手を合わせて

パイロット道路に合流し坂を上って、平山地区からさらに下った所にある「百貫園」に「潮害供養塔」が建っている。

昭和2年9月13日、熊本県を襲った台風により旧飽託郡、玉名郡、宇土郡の海岸で高潮が発生し、死者・行方不明者423名、重傷者23名に上った。 有明海沿岸の各所で堤防が決壊し、海水は場所によっては堤防から4500mの内陸(現在の熊本市内田町)までに及んだ。

決壊した海路口堤防の改修記念碑

熊本県は昭和4年に、有明海を望むここにお釈迦様像の供養塔を建て、潮害で亡くなった方々の霊を弔った。

もうひとつ、そこから近い権現山の西の山腹にもこの時の潮害碑が建てられた。高さ約12.6m、土台は9m四方と立派なもので、建設当時は周辺が公園化されたが、人の足が次第に遠のき、今では情報もほとんどない。

ダメもとで、パイロット道路を下る途中、その潮害碑の近くへ上る山道を探索してみたが、あと数百メートルくらいで深い竹藪と急斜面に行く手を阻まれ、辿り着けなかった。

 

百貫園から国道501号線を数百メートル北上した道端に祠が建っている。

昭和25(1950)年2月11日午前9時40分頃、玉名郡発熊本行き九州産業交通定期バスがカーブを曲がり切れずに道路脇の養魚場の池に転落し、22人が死亡し、18人が負傷した。

バスには、乗車定員35人のところ60人以上も乗車しており、乗客の持ち込んだ荷物が車体の揺れで運転手の身体に当たったため、運転手がハンドル操作を誤ったことが原因とされた。

この事故の犠牲者のために地蔵菩薩が建てられている。

 

金峰山周辺の供養碑を廻り終えた後は国道501号線やその裏道や県道237号線を走り、高橋町からは坪井川左岸を走り、

二本木からは白川沿いの道を走って帰った。

本日の走行距離:40.3㎞