くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

新春「うしうし」ライド

今年は丑(うし)年。

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そこで、走り初めは「丑」や「牛」に因んだ場所に行くことにする。

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まずは玉名市の横島干拓地。

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加藤清正公の統治以来、昭和期まで行われた横島干拓の、明治期に行われた干拓事業の遺構のひとつに明丑堤防(めいちゅうていぼう)がある。

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(以前はあったこの案内板は紛失していた)

高さ約5mの石積みの堤防が延々と続く様は万里の長城(写真でしか見たことないけど)のミニチュアの様で、

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この堤防に続いて明治期に築かれた「明豊」、「末広」、「大豊」の三つの潮受堤防や「六枚戸」などの樋門とともに熊本県の重要文化財に指定されている。

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明治22年の丑年に着工されたため「明丑」と名付けられたこの堤防は昭和42年(1967年)の「国営横島干拓事業」の完工により、約80年間の長きに渡った第一線堤防としての役割を終えたが、この堤防に囲まれた地は「明丑区」と呼ばれて現在に至っている。

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ちなみに明治22年のひと回り前の明治10年は、西南戦争が勃発した年であり、その年の干支の「丁丑(ひのと・うし)」に因んで「丁丑戦」などとも呼ばれ、県内の史跡にも「丁丑」の文字が彫られていた。

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(薩軍側に加わった「熊本隊」出陣の碑)
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(熊本隊の野戦病院となった御船の法光寺の慰霊碑)

さて、もう一方の漢字の「牛」の字は身近な動物だけに、人の名前の他にも

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僧侶の法名にも使われており、

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また、わたしの実家の近くの坂の名前にも使われている。

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また、「牛」の字のつく熊本の地名なら「牛深」がまず頭に浮かぶけど遠すぎるので、横島干拓地からさらに西へ。県内初のクラスターが発生した事業所

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のある長洲町を抜けたところにある荒尾市の牛水(うしのみず)へ。

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「熊本県地名大辞典」によれば、この辺りは地下水が豊富なことがこの名前に繋がったとのこと。

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ちなみに「丑」という字には「からむ」という意味があり、芽が種子の中で伸びることができない状態を表しているという。そのため丑年には「我慢(耐える)」や「発展の前振れ(芽が出る)」を表す年になると言われているとか。 今年がそんな一年になるといいけどね。

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