今年は丑(うし)年。
そこで、走り初めは「丑」や「牛」に因んだ場所に行くことにする。
まずは玉名市の横島干拓地。
加藤清正公の統治以来、昭和期まで行われた横島干拓の、明治期に行われた干拓事業の遺構のひとつに明丑堤防(めいちゅうていぼう)がある。
高さ約5mの石積みの堤防が延々と続く様は万里の長城(写真でしか見たことないけど)のミニチュアの様で、
この堤防に続いて明治期に築かれた「明豊」、「末広」、「大豊」の三つの潮受堤防や「六枚戸」などの樋門とともに熊本県の重要文化財に指定されている。
明治22年の丑年に着工されたため「明丑」と名付けられたこの堤防は昭和42年(1967年)の「国営横島干拓事業」の完工により、約80年間の長きに渡った第一線堤防としての役割を終えたが、この堤防に囲まれた地は「明丑区」と呼ばれて現在に至っている。
ちなみに明治22年のひと回り前の明治10年は、西南戦争が勃発した年であり、その年の干支の「丁丑(ひのと・うし)」に因んで「丁丑戦」などとも呼ばれ、県内の史跡にも「丁丑」の文字が彫られていた。
さて、もう一方の漢字の「牛」の字は身近な動物だけに、人の名前の他にも
僧侶の法名にも使われており、
また、わたしの実家の近くの坂の名前にも使われている。
また、「牛」の字のつく熊本の地名なら「牛深」がまず頭に浮かぶけど遠すぎるので、横島干拓地からさらに西へ。県内初のクラスターが発生した事業所
のある長洲町を抜けたところにある荒尾市の牛水(うしのみず)へ。
「熊本県地名大辞典」によれば、この辺りは地下水が豊富なことがこの名前に繋がったとのこと。
ちなみに「丑」という字には「からむ」という意味があり、芽が種子の中で伸びることができない状態を表しているという。そのため丑年には「我慢(耐える)」や「発展の前振れ(芽が出る)」を表す年になると言われているとか。 今年がそんな一年になるといいけどね。