今年の干支の「辛丑(かのと・うし)」の「丑」関係のライドに続き、「辛」に因んだ場所へ行ってみようかと、オンラインの「地名辞典」で検索してみると、「辛」の漢字を含む町域名は日本に13あって、そのうち2つが熊本。しかも比較的近くにあるので、昨日と今日の仕事が終わって帰り道に遠回りしてポタリング。 まずは県道145号線・通称「供合(ともあい)線」を東へ走って菊陽町に入ったところが「辛川(からかわ)」。
馬場楠堰から取水した井手が「鼻ぐり井手」や「井口眼鏡橋」を通りながら
東西に横切る地域。
「熊本県地名大辞典」では、古来から「唐河」と呼ばれた地区で、後年、「辛川」と記するようになったとのこと。
そしてもう一か所が、お馴染の「辛島町」。
ご存じの方も多いだろうが、この名の由来は第3代熊本市長の「辛島格(いたる)氏」。
辛島氏は、安政元年(1854)熊本城下の塩屋町に生まれ、八代郡長を務めた後、明治30年(1897)から大正2年(1913)まで16年間に渡り熊本市長を務めた。 就任当時、市街地の中心部を練兵場や兵舎が占めており、
街の発展の妨げとなっているのは誰の眼にも明らかだった。
辛島市長は軍と粘り強く交渉し、練兵場や兵舎を郊外に移し、その跡地を「新市街」とし、また市の基本財産の造成や教育事業の振興などに大きな功績を残した。
熊本市は、明治41年に新市街の一部を「辛島町」と名付け、大正10年にはこの顕彰碑を建ててその功績を称えた。昭和34年にはそれまで日清戦争の勝利を記念した「征清記念碑公園」を改装して市民の憩いの地として整備した公園を「辛島公園」と命名した。
1993年(平成5年)に公園の地下に駐車場を整備するのに伴って、再整備されたが、
公園内は石張りで木陰も少ないため特に夏場は不評な事もあり、桜町の再開発を契機に2020年11月から改装工事に入っている。
そんな中、辛島市長の功績を顕彰する「辛島格顕彰碑」がその中心に静かに佇んでいた。