くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

「腰掛石」ライド

先月のポタリングで紺屋阿弥陀寺町の地蔵堂を訪れた時、すぐ近くには、豊臣秀吉が九州平定の折に腰を掛けたと言う「殿下石」(でんかいし)と言うのがあった。

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秀吉が天下統一を成し遂げる数年前、九州では薩摩の島津氏が北へ侵攻し、九州全土を掌握しようとしていた。 これを良しとしない秀吉は30万の兵を引き連れて九州に進軍し、天正15年(1587)4月18日、隈本城を出て城南の隈庄へ向かう途中、この石に座って休憩したと伝えられている。

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戦国武将が座った石と言えば、花岡山の頂上に「加藤清正の腰掛石」がある。

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加藤清正は、熊本城を築くにあたり、いくつかの山で、石垣に最適な岩の採掘を行った。 中でも花岡山(当時の名前は「祇園山」)では自らが切り出しの監督に当たっており、休憩の時、腰掛ける場所として定めていた石が「腰掛石」として伝承されている。 他にも「腰掛石」があるかネットで調べていたら、いくつかあることが判ったので廻ってみた。

日輪寺近くの腰掛石.JPG

新型コロナウイルスの感染者がいよいよ熊本でも発生してしまったので午前中はその関係で用事ができたので昼飯の後に山鹿までカーボンロードバイクで走ってきた。

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(合志川沿いはすでに春の佇まい)

宮原から国道3号線を北へ走って日輪寺の近くの「清正公の腰掛石」のところに到着。

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小さな石の祠の間に小さな石碑が建っていて、

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その後ろに人がひとり座れるくらいの石が見える。

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(あんまり座りたくない感じの石)

ネットによれば、朽ち果てた案内板には「検地の時に、清正公が腰かけた」と書かれていたらしいが、地元の口伝では、近くの「石村用水」を掘るときに腰かけたとも言われているらしい。 山鹿からの帰り、いつものように坪井川沿いの道を走り、寺原(てらばる)へ。 瀬戸坂の登り口にある眞光寺。

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その一角に小さな御堂が建てられている。

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加藤清正の重臣・小谷柿右衛門が出家した後、このお寺の住職となった所縁で清正公がこの寺を訪れるようになり、境内の庭池に咲くハスを眺めた時に腰かけたと伝わる腰掛石が残る。

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その後、清正の後を継いだ忠廣、その後を継いだ細川忠利とその父・忠興もこの寺を訪れ、同じようにハスを眺めたと伝えられる。 御堂の中には腰掛石の他にも加藤家、細川家から拝領した地蔵尊などが納められていた。

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本日の走行距離:69.9㎞

腰掛石走行図.JPG