土曜日の午前中の仕事を終えて、給食をいただいて、職場からクロモリロードバイクで、熊本城三の丸地区にある「熊本博物館」へ。
わたしが小さい頃、辛島町の「勧業館」の2階、3階にあった博物館が施設の老朽化などから、移転のための建設準備委員会が設置されたのが昭和47年で、以後9回もの話し合いの結果、建設予定地が決定し、建築家の選定に入った。
博物館・美術館、これに類する建築設計に実績がある建築家や設計事務所の22の候補の中から選ばれたのが当時40才の黒川紀章であった。
選定理由として「博物館活動に関する諸団体に関係し、海外の博物館等の事情にも詳しく、広く諸外国からも高く評価されている、日本建築学界における新進気鋭の第一人者である」ということであった。
地元新聞社の当時のインタビューで「名古屋出身の自分が、加藤清正ゆかりの熊本で仕事をすることになったのは何かの縁かもしれない」とコメントしている。
建物に求めたのは①低く落ち着いたデザイン、②屋根デザインを重視、③石垣を活かしたデザインの三つ。
①についてはモダンであり、
しかも熊本城と調和している。
②の屋根については、
屋根が一方にだけ流れている「片流れ」の形状を採用。
大きさの違う32個もの屋根を並べることにより、熊本城からの流れを意識している。
また、この屋根の形状は自然光を取り入れるデザインにも寄与している。
③の「石垣」とは「二の丸屋形石垣」のことで、博物館建設工事に先立つ発掘調査で検出された遺構のことであり、石垣・排水溝が当時の姿のまま発見されたもの。
博物館建設時には、歩道とともにこれらを整備し、保存する流れとなった。
ちなみに、排水溝の機能も併せ持つこの石垣には、
「水の神である龍の姿がデザインされている!」といつか地元紙で指摘されていた。
そんな熊本博物館の外装がお城の緑に調和してシックであるのに対して、内装については近未来的な雰囲気が見え隠れする。
ただし、7年ほど前の改装時に青のライトが目立っていたエレベーターはシンプルな感じになってしまい、以前と比べて少し大人しめの内装となっている。
さて、これまで何度もここに見学に来ているが、目玉のひとつのプラネタリウムを見てなかったので初体験。
前半の、今夜見える星座の解説までは快調だったが、次の、ウクライナ・キーウに本拠を置くアニメーションスタジオが企画・製作した「VOYGER 終わりなき旅」では、昨夜の睡眠不足が祟って、土星あたりで寝落ちしてしまった。
やれやれ・・・。