くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

「陣ノ内城跡」と「おたっちょさん」

朝8時頃にクロモリロードバイクで出発し、通勤通学時間帯の喧噪を抜けて出水ふれあい通りを走り、中の瀬橋、めど町橋を渡って緑川右岸の道で甲佐町へ。

安津橋を渡って、国道443号線から鮎の簗場方面へ左折して、「陣ノ内城跡」へ左折し、

坂を60mほど上る。

「陣ノ内城跡」は、以前は阿蘇大宮司の館跡と伝えられていたが、その後の調査で、天正16年(1588)に肥後国の南半分に入部した小西行長が、阿蘇氏の拠点が置かれた場所に築城したものということがわかってきた。

甲佐町のHPより

肥後国の中世城館の中でも突出した規模を持ち、

堀や土塁などの遺構の保存状態が良好であることに加えて、

この地が水陸交通の要衝であることから長期間に渡り継続的に利用されてきたこと、さらには阿蘇氏から豊臣系大名への転換期の政治的・社会的状況を考える上で重要、などの理由により、令和2年10月に国指定史跡となった。

お次は坂を下って県道152号線で甲佐の街中を北上し滝野地区に入って東へ坂を少し上り、左に折れて小原地区のふたつ目の集落の外れに「おたっちょさん」の標柱が立っている。

10メートルほど斜面を進むと、宝篋印塔が倒壊したと思われる石が転がっている。

「おたっちょさん」とは「お館(たち)様」のなまったものとも、「お立寄り」がなまったものとも言われている。ここ滝野は阿蘇大宮司の拠点である矢部の「浜の館」への交通の要衝とされており、この石碑は阿蘇大宮司であった阿蘇惟前(これさき)公の墓と伝えられている。

阿蘇惟前公とは、永正10年(1513年)、阿蘇惟豊(これとよ)公との争いに勝利し、阿蘇神社大宮司となり大永3年(1523年)には堅志田城(美里町)を落とし、20年間甲佐・砥用・中山を支配下に治めた人物。

ちなみに、矢部の「浜の館」の近くにも「おたっちょさん」と呼ばれる宝篋印塔の墓碑があり、これは阿蘇惟種公(惟豊公の二男)のものである。

さて、グーグルマップによれば、ここ小原の「おたっちょさん」のその数十メートル先にも阿蘇惟前公の墓碑があるように示されているので念のために行ってみたが、

それらしきものはなく、危うくイノシシの罠に掛かりそうだった。

道を戻り、セブンイレブン甲佐糸田店で小休止後、県道36号線を北上して帰るつもりであったが、大型トラックが多そうなので乙女橋を渡って緑川左岸の道に入り、

後は朝来た道をのんびりと戻った。

本日の走行距離:53.1㎞