くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

水前寺~県庁かいわいポタ

曇り空の寒い午前中、クロモリロードバイクに乗って熊本市立図書館に本を返しに行った帰り道、少し回り道をして、水前寺~県庁界隈を散策。

まずは、震災で倒壊した「ジェーンズ邸」が移設再建された「水前寺江津湖公園(水前寺地区)」へ。


江戸時代、ここにあったのが「水前寺蝋締(ろうしめ)所」。

熊本藩では江戸初期には櫨の実から作った蝋燭(櫨蝋)が生産はされていたが,

第6代藩主・細川重賢の「宝暦の改革」の時に殖産興業の目玉として奨励するようになって櫨栽培が盛んになり、

細川重賢

 

文化5年(1808)には熊本藩が、「櫨方(はぜかた)」という名の役所を作り、

「櫨方」が置かれたのは現在の加藤神社の場所

 

櫨蝋を藩の専売とし、1858年の記録では,藩内の櫨の木が70万本、実の収穫高3000トン、蝋の生産高450トン、売上高17000両となっていた。

水前寺蝋締所では江津湖や加勢川を利用した水運で櫨の実が集められて蝋締め(蒸した櫨の実から油を搾ること)が盛んに行われた。

加勢川沿いのハゼ並木

「うなぎの東濱屋」の北側には当時、櫨の実を搬入する舟が出入りした水路が遺っていて往時を伺わせる。


そこから東へ少し進んだ熊本市総合体育館の敷地の隅に、「アルコール会社跡」の石碑が建っている。

このアルコール会社は細川家の元家臣の実業家団が細川家の支援を受けて経営したもので、明治41年10月に「 肥後酒精(株)」を創業。江津湖畔北部の広大な敷地に県内一高い煙突を有する煉瓦造りの工場で熊本の近代化工業の先駆とされた。大正14年4月 「日本酒精(株)」に合併。昭和35年には協和発酵工業(株)に合併され、昭和55年4月に閉鎖されるまで熊本の近代産業振興に貢献した。

現在の熊本県道228号線(県庁西門通り)が、この工場に焼酎の原料となる甘藷を運ぶための道路で、「アルコール往還」とか「カライモ街道」と呼ばれていた。


そのカライモ街道を少し走って右折し、熊本県庁に入る。こんな寒い日でも訪れる人のいるルフィー像から

60~70メートル離れた植込みにある石碑。

明治以降、日本では絹・生糸が輸出の中心的存在であり、特に熊本では全国トップクラスの品質を誇る生糸を生産していた。

ここは「国立蚕糸試験場九州支場」の前身である「農通商省原蚕種製造所熊本支所」が1913年に設立されたところで、1965年に県の要請で旧植木町(現在の北区役所の東側)に移転するまでの52年間、この地において暖地における蚕糸業発展の基礎を築いた。

九品寺にあった製糸工場の煙突の一部

その後、化学繊維の発達や安価な外国製生糸などのために国内蚕糸業は衰退し、植木に移転した九州支場も1983年に廃止されている。


相変わらずの寒空の下、「カライモ街道」を北へ走って帰った。

本日の走行距離:8.4㎞