くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

玉名の磨崖仏ライド

午前6時前にクロモリロードバイクで出発し、

明午橋を経由して県道1号線、31号線を走り、

国道208号線に突き当たって左折。

玉東町に入り、

稲佐から右に折れて梅林を経由して山部田の先から広域農道に入り、

菊池川を渡って青木熊野座神社に立ち寄る。

御神木のナギが生えている境内の、

西側の高さ約7mの崖面には、

10を超える梵字が刻まれている。

その梵字群最大規模の梵字、剣不動明王。

2つの梵字を剣が縦に貫いて一体化させたもので、梵字群の中心となるもの。

梵字が仏を表しているので、このような梵字を刻んだものの「磨崖仏」のひとつに分類されており、梵字の字体などからこの磨崖仏は平安時代後半から鎌倉時代頃の作と考えられている。

広域農道に戻って玉名カントリークラブへの丘をヘロヘロになりながら上り、県道4号線へ右折し北上。

石貫地域に入り、案内板に従って左折。

菊池川支流の繁根木(はねぎ)川の右岸にある丘陵の岩壁に

250mにわたって48基の横穴群が確認されており、6世紀頃に作られた墓とみられていて、「石貫ナギノ横穴群」と呼ばれている。

横穴の入口は二重、三重の飾縁となっており、

円文、同心円文、三角文を赤や線刻で描いていて、1400年経った今でもその色を観ることができる。

そこから400メートルほど離れた同じ丘陵の西側には5基の横穴墓が造られており、その内の3基は急な階段を上ったお堂の

さらに少し上にあり、

その中央の横穴の奥に千手観音が彫られていて、さらにはその横に十一面観音も置かれていることから「石貫穴観音横穴」と呼ばれている。

横穴古墳の内部に彫られた磨崖仏は日本の装飾古墳でも他に類がなく、後の追彫であると疑われたこともあったが、その手法や形態などから当時のものとされている。

「石貫穴観音横穴は、大正10年に同じ丘陵の石貫ナギノ横穴群や熊本県内の装飾古墳(井寺古墳・千金甲甲古墳・千金甲乙古墳・釜尾古墳・大村横穴群)と共に国の史跡に指定されおり、これらは装飾古墳として日本国内で第一期の指定であり、その存在を広く世の中に広める第一歩となった、記念すべき史跡」ということらしい。

道を戻り、

帰路は菊池川沿いを山鹿方面へ走って帰るつもりだったけど、この後、用事もあるので梅林へ南下し、

朝来た道に戻って帰った。

本日の走行距離:68.1㎞