本日のウェブ版・西日本新聞に書いてあったが、150年前の今日、明治政府は神仏習合を禁じる「神仏分離令」を布告した。
「神と仏を一緒にすることはまかりならん!」という訳だ。 昭和31年生まれのわたくしの頭の中では、「お寺は仏様で先祖の霊にお参りするところ。神社は神様で、色々なお願いをしに行くところ」と認識していたが、大人になって、結婚して、子どもが誕生する時に、に安産祈願に行くことになったのが、仏教の方と思われる菊鹿の相良観音だった。
お寺に祈願に行くと聞いて、「ん?」と一瞬思ったが、気にしない事にしていた。 それから随分経って、ロードバイクに乗り始めて、雁回山の麓の「木原不動尊」に行った時、当時の案内板には、次のような感じの事が書いてあった。 「木原不動尊としてよく知られるこのお寺は檀家を持たない純粋な祈願寺で、本尊のお不動さんは庶民の煩悩を断ち切り、悩みの海から救いあげてくれる。
それゆえ、このお寺には、神社にお参りするのと同じように、日々の息災を願ったり、 また安産祈願や交通安全祈願などのお願いごとなどにお気軽にお参りください・・・」 こうして、50才を過ぎて「神仏習合」という言葉があるのを知った。 そう言われてみると、熊本市で一番メジャーな藤崎八幡宮や、
夫婦杉でも有名な
菱形八幡宮では
ご神体の他に仏像を祀っているという話だし、伊倉にある南北に隣り合った両八幡宮のうち、
伊倉南八幡宮ではお寺を守護する仁王さんが鳥居の前で睨みをきかせていた。
阿蘇市黒川の西厳殿寺では、
先日ご紹介したように参道に「足手荒神」が祀ってあったし、菅原道真を祀る「天神社」も建てられていた。
また、山鹿市蒲生の不動岩の麓にある「金毘羅宮」には
観音様も祀ってあった。
そうそう、宇城市小川町の東海東にある「舞鴫(もうしぎ)文殊堂」は
知恵の仏様である文殊菩薩を祀る仏堂だけど、
それだけでなく、眼病治癒の生目八幡、火災防除の秋葉明神、無病息災の阿弥陀如来なども一緒に祀ってあるらしい。
さらにお堂の横には水神様なども祀ってあった。
先日も書いたように、わが国では古来より大衆は実に大らかな神仏の祀り方をしていたんだけど・・・(続く)。