戦争体験者ではないんだけれど、やっぱり毎年8月になると心の中に「戦争」が浮かびやすい状態になってくる。 これまでに熊本市およびその周辺の戦争遺跡はおおよそ廻ったけども、人吉球磨地方にあるものをいつか廻ろうと思っていたので実行することに。 クロモリロードバイクをN-Boxに詰め込んで、高速道路で人吉へ。 人吉城の駐車場に車を停めてサイクリングを開始。 市街地の丸ポストや山江村に残っている道路元標をゲットしつつ、
相良村を抜けて、
錦町にある「人吉海軍航空基地跡地」へ。 人吉海軍航空基地は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)11月に、海軍施設部により建設が開始された。全長1,500m 幅50mのコンクリート製滑走路を有する飛行場と、本部庁舎や実習棟、兵舎が建ち並ぶ庁舎居住地区からなる、本格的な航空基地だった。 当初整備兵を養成していたが、昭和19年5月からは海軍飛行予科練習生が入隊。その数は6,000名を超えた。 その後、2度にわたる空襲と戦況の悪化により、教育施設から特攻訓練基地、そして本土防衛基地へとその役割を変えていった。 上空には、「赤とんぼ」の愛称で知られる九三式中間練習機が特攻訓練に明け暮れ、地上では本土決戦に備えた膨大な数の地下施設の建設が進められた。 そして間もなく終戦となり、人吉海軍航空基地の活動期間は、わずか1年9カ月と短いものであった。 広大な跡地には現在でも「人吉海軍航空隊庁舎区隊門跡」の門柱や、慰霊碑や軍人勅諭の碑、「人吉海軍航空隊内門跡」など、多くの痕跡が残っている。 また、滑走路の一部は直線道路として残っており、その一端には昨年8月、「人吉海軍航空基地資料館(山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム)」がオープンしている。 その近くにある「魚雷調整場」は丘陵地帯の端に掘ってある壕の奥深くにあり、関係者以外は立入禁止となっているが、ミュージアムのガイドツアーに申し込むと、見学することができる。 さて、この日、人吉球磨地方の朝の天気は曇りで、次に目指す湯前方面の先の山々には雨雲がかかっていた。 向かい風に悩まされながら県道33号線であさぎり町を抜けて多良木町に入り、沿道にあった青蓮寺で六地蔵をゲットし、湯前町の、かつて「湯前城」があった山中に鎮座する「市房山神宮里宮神社」に到着。 この神社は縁結びや農作物の豊作をつかさどるだけでなく、武の神様としても敬われてきた神社。 その一方、太平洋戦争中、海の底に沈んだ旧日本海軍の軽巡洋艦「球磨」の艦内には、この神社が守護神として祀られていた、とのこと。 日本では、漁船など小さな船でも神様をまつる習慣がある。海軍の軍艦の中にも「艦内神社」が祀られ、軽巡洋艦では、艦名と由来のある神社の神様を守護神にしていた。 高速性と攻撃力を強化した軽巡洋艦「球磨」は1920年に佐世保で造られ、そのスピードを活かして多くの作戦や輸送に活躍した。1944年1月11日、マラッカ海峡でイギリス潜水艦の魚雷7発を受け沈没。乗組員約450人のうち138人が戦死した。 軽巡洋艦「球磨」の艦内神社がどの神社だったのか、長年不明であったが、その後、この里宮神社であったことが判明し、その後、この神社の境内には「軽巡洋艦球磨記念館」が造られている。 さらには近年、海軍の艦艇を擬人化したキャラクターである艦娘(かんむす)を強化・育成して、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ「艦これくしょん(通称『鑑これ』」がブームとなって、お気に入りの艦娘の艦内神社にお参りする「聖地巡礼」のファンの要望に応え、 御朱印も用意されている。 湯前からは追い風に乗って、国道を走って多良木町の国道筋では永昌寺の六地蔵をゲットし、免田に入って右に折れ、球磨川鉄道の線路沿いを走り、 「おまめど幸福駅」では幸せの黄色い丸ポストをゲット。 再び錦町を抜けて、人吉市に入り、観音寺の六地蔵塔や 物産館の丸ポストをゲットしつつ、球磨川を渡って、最後に訪れたのが、「桃李温泉 季の杜 石庭」。この温泉旅館の敷地内に「高木惣吉記念館」が設けられている。 高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年(明治26年)8月9日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の海軍軍人で、最終階級は海軍少将。
旧制中学校への進学が叶わない貧しい家に生まれ、働きながら独学で海軍兵学校への入校を果たし、海軍大学校を首席で卒業。 健康に恵まれず、海上勤務は少なかったが、軍政方面で活躍し海軍部外に幅広い人脈を有した。 太平洋戦争の戦局悪化に伴い首相・東條英機の暗殺計画を立案したが決行直前に東條内閣が瓦解し未遂に終わる。その後は井上成美らの密命により終戦工作に従事。各方面と連携をとりながらの終戦への基盤づくりを行った功績は大きいとされる。 高木惣吉氏の親族の方がこの史料館の管理をしておられ、 高木惣吉氏のまとめ上げた終戦前後の資料や 長年続けてきた日記は終戦の舞台裏を知る貴重な資料と認定され、原本は国会図書館で保管してあるらしく、予約して伺うと、大変親切に、しかも詳しく説明してもらい、高木惣吉氏の業績を改めて心に刻むことができた。 わたくしめのサイクルジャージ姿を見て、「熱中症予防に・・・」と下さった飲み物とお菓子をいただきながら、しばらくお話をして辞去。 雲間から太陽が出て気温が上がる中、人吉城内の駐車場へと走り、本日のサイクリング終了。 本日の走行距離:65.3㎞