くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

道路元標を探して野津と川尻

氷川町の野津と熊本市南区の川尻に道路元標を見つけに行くが、今日も猛暑日の予報なので、朝5時過ぎにクロモリロードバイクで出発。

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東の空が赤く染まる中、DSC00195.jpg

出水ふれあい通りから画図の田舎道を走っていると、東の空の赤が褪せて行く一方、今度は西の空が赤く染まって、DSC00197.jpg

やがて褪せてゆく。DSC00200.jpg

中ノ瀬橋とめど町橋を渡り、DSC00201.jpg

「故障中」の丸ポストが痛々しく立っている城南の旧道を抜け、DSC00203.jpg

浜戸川沿いの道を上流に向かって走る頃には夏の太陽が顔を出す。DSC00208.jpg

県道32号線に入って南に走り、山崎橋に立ち寄って、DSC00213.jpg

さらに南へ走り、小川の商店街からDSC00216.jpg

砂川を渡って、小道を走り、道の駅 竜北の交差点から左折して県道155号線の坂道を上る。 この辺りには古墳などの史跡が多く、DSC00217.jpg

「野津村道路元標」をゲットする前に、国指定の史跡「野津古墳群」を見に行くことにする。 宮原竜北農免農道へ右折し、DSC00220.jpg

収穫間近の梨畑を抜け、DSC00224.jpg

右へさらに細い坂道を上って行くと、DSC00225.jpg

ほどなく到着。DSC00226.jpgDSC00235.jpg野津古墳群航空写真.JPG

「野津古墳群」とは、Wikipediaによれば・・・ 『前方後円墳5基(現存4基)から構成され、周辺では舟形石棺・箱形石棺数基も認められている。1993年度(平成5年度)以降に発掘調査が実施されている。 現存する前方後円墳4基は、北から姫ノ城古墳・姫の城古墳.jpg

物見櫓古墳・物見櫓古墳.jpg

中ノ城古墳・中の城古墳2.jpg

端ノ城古墳で、端の城古墳.jpg

最大規模は中ノ城古墳で墳丘長102メートルを測る。60-100メートル規模の前方後円墳が密集する点、姫ノ城古墳・中ノ城古墳で石製表飾品が出土して石製表飾品の分布域の南限をなす点で特色を示す。 (中略) 中九州地方では代表的な古墳群であり、その特色から被葬者を火君(ひのきみ、肥君)一族に推定する説が挙げられている。』DSC00202.jpg

実際に見てみると、ここの4基の古墳のうち、中ノ城古墳は前方後円墳の片鱗を伺い知ることができるが、中の城古墳.jpg

その他の古墳は雑木林に覆われて素人目には前方後円墳のイメージが湧きにくい状態で「国指定の史跡」にしては整備が不十分と言わざるをえない。 それはともかく、古墳群があるのは九州山地の西の外れ、海抜100mの台地で、干拓地帯や宇土半島方面の眺めを楽しみ、DSC00238.jpg

坂を下り、国道3号線を渡って道路元標を探しに氷川町野津の集落へ。DSC00251.jpg

ここは大正時代には「八代郡野津村」だったところで、集落の中心部の薬師堂の脇に、野津村道路元標が残されている。DSC00254.jpg

JR鹿児島本線の西側の道を北へ走り、DSC00257.jpg

突き当りを左折して、やがて右折して県道256号線を北上。JR小川駅のところからは田舎道に入って北上。DSC00258.jpg

松橋の街中を抜けて国道3号線にでてさらに北上。 川尻の旧道に入り、川尻小学校に立ち寄る。DSC00264.jpg

ここの敷地内に「川尻町道路元標」があるそうなので許可を得て探すと、校門の脇に残されていた。

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二基の道路元標を予定通りにゲットして、帰路は左手に普賢岳を眺めながら、DSC00266.jpg

九州新幹線の高架脇の道路を北上するコース。この時間、よい塩梅に日陰となっていて気分よく走る。DSC00268.jpg

その後、白川左岸の道に出て、右岸に渡ってDSC00272.jpgDSC00275.jpg

自転車専用道に入り、新屋敷を抜けて帰った。 本日の走行距離:78.4㎞ 野津と川尻走行図.JPG