氷川町の野津と熊本市南区の川尻に道路元標を見つけに行くが、今日も猛暑日の予報なので、朝5時過ぎにクロモリロードバイクで出発。
出水ふれあい通りから画図の田舎道を走っていると、東の空の赤が褪せて行く一方、今度は西の空が赤く染まって、
浜戸川沿いの道を上流に向かって走る頃には夏の太陽が顔を出す。
砂川を渡って、小道を走り、道の駅 竜北の交差点から左折して県道155号線の坂道を上る。 この辺りには古墳などの史跡が多く、
「野津村道路元標」をゲットする前に、国指定の史跡「野津古墳群」を見に行くことにする。 宮原竜北農免農道へ右折し、
「野津古墳群」とは、Wikipediaによれば・・・ 『前方後円墳5基(現存4基)から構成され、周辺では舟形石棺・箱形石棺数基も認められている。1993年度(平成5年度)以降に発掘調査が実施されている。 現存する前方後円墳4基は、北から姫ノ城古墳・
最大規模は中ノ城古墳で墳丘長102メートルを測る。60-100メートル規模の前方後円墳が密集する点、姫ノ城古墳・中ノ城古墳で石製表飾品が出土して石製表飾品の分布域の南限をなす点で特色を示す。 (中略) 中九州地方では代表的な古墳群であり、その特色から被葬者を火君(ひのきみ、肥君)一族に推定する説が挙げられている。』
実際に見てみると、ここの4基の古墳のうち、中ノ城古墳は前方後円墳の片鱗を伺い知ることができるが、
その他の古墳は雑木林に覆われて素人目には前方後円墳のイメージが湧きにくい状態で「国指定の史跡」にしては整備が不十分と言わざるをえない。 それはともかく、古墳群があるのは九州山地の西の外れ、海抜100mの台地で、干拓地帯や宇土半島方面の眺めを楽しみ、
坂を下り、国道3号線を渡って道路元標を探しに氷川町野津の集落へ。
ここは大正時代には「八代郡野津村」だったところで、集落の中心部の薬師堂の脇に、野津村道路元標が残されている。
突き当りを左折して、やがて右折して県道256号線を北上。JR小川駅のところからは田舎道に入って北上。
松橋の街中を抜けて国道3号線にでてさらに北上。 川尻の旧道に入り、川尻小学校に立ち寄る。
ここの敷地内に「川尻町道路元標」があるそうなので許可を得て探すと、校門の脇に残されていた。
二基の道路元標を予定通りにゲットして、帰路は左手に普賢岳を眺めながら、