くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

くまもと港めぐり

怪しい曇り空だけど午前8時にクロモリロードバイクで出発。熊本市にある7つの港を北から順に廻る。 最初の港が河内港なので峠の茶屋を越えて行くことにする。 いつものルートで鎌研坂を上る。

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県道1号線に合流して峠の茶屋の自販機で珈琲ブレイク。

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茶屋前の交差点の先100mほどの県道1号線は工事中で路面が悪そうなので、走ってみたかった道へ迂回することにする。 交差点を左折して大将陣への本格的な上りが始まるところで右折する。

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初めての道をゆっくり走るけど、寒い! 芳野郵便局の少し前で再び県道1号線に入り、県道101号線へ左折。岩戸の里への分かれ道のすぐ先にある鼓ケ滝で小休止し手をカイロで温める。

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さらに県道101号線を下り、河内中学校の裏手の鑪水を訪れる。

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大きな銀杏の木の根っこのところから湧き出す泉が不思議。 その少し先の河内港へ。

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古くから漁港として発達し、その後「河内みかん」の移出港として機能したものの、国道501号の開通により、次第に商港としての機能は衰退。平成になってからの廃棄物埋立護岸事業で、港湾浚渫土砂の処分場として整備されているらしい。 国道501号線を熊本港方面へ。 岬をひとつ越えて塩屋漁港へ。

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入り江を利用した漁港で、海苔漁が盛ん。ここの自販機で暖をとっていると海苔漁師のお兄ちゃんから声をかけられ、しばらく話し込んで次へ。 海の駅・塩屋でトイレを借りて、

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坂を下り、百貫港灯台へ。

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その先にあるのが百貫港。

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坪井川河口にあり、歴史は古く加藤清正が入国後築いたといわれ、細川藩時代から明治の初め(三角西港が開港するまで)にかけては、熊本の外港として賑わっていた。 また、大正5年から昭和19年までは熊本市田崎町から同港まで電車が走り、鮮魚介・木材雑貨、その他の交易上の重要な港となっていた。 しかし、坪井川の河口港であるため、航路・泊地が埋没したため、昭和35年より港湾の整備に着手し、現在では、熊本都市圏に必要とする砂・砂利を主に取り扱っているとのこと。 国道501号線を走り、途中、坪井川を渡って小島(おしま)を抜ける。

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再び国道501号線に入り小島大橋で白川をわたってすぐ右折し、熊本港へ。

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平成5年からフェリー就航(熊本・島原間)。平成11年からは、韓国(釜山港)との間に、コンテナ国際定期航路が開設されるなど、熊本都市圏の人流、物流拠点として発展している。 飽託海岸を南へ走り、

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四番漁港へ。

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沖新町と畠口町の境にあり、除川の河口を利用した漁港。 引き続き、四番海岸を走り、海路口(うじぐち)漁港へ。

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千間江湖川の河口を利用した漁港。 引き続き、海路口海岸を走り、

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緑川の河口に入ろうとすると全面通行止めとなっており、迂回して天明漁港へ。

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この漁港だけは河川(緑川、天明新川)の中にある漁港。そのせいか、港につきものの恵比寿さんが見当たらなかった。 以上、7つの港を見て回ったけど、うち、塩屋漁港、四番漁港、海路口(うじぐち)漁港、天明漁港の4つの漁港では、ノリの養殖、採貝(アサリ、ハマグリ、シオフキ、タイラギなど)、網漁業(ヒラメ、クルマエビ、ワタリガニ、コウイカなど)が盛んに営まれている。干満の差が著しい有明海の漁なので、船舶のほとんどは小型船であるのが特徴。

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帰りは奥古閑を経由して本田技溝の公民館の先を左折。しばらく北上して白川左岸の道へ右折し上流へ。

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銀座橋のところで右折して大江のインド食堂で鶏肉とレンズ豆の煮込みのカレーセットをいただいて帰る。

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本日の走行距離:72.5㎞

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