くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

墓地でプチ・ヒルクライム

今日はお盆。我が家は七月盆だけど、嫁の実家は八月盆なので帰省している子ども等と墓参りに行く。 と言っても、墓参りの後はそのままサイクリングに行きたいので、わたしのみクロモリロードバイクで。 明午橋経由で藤崎宮の参道を走り、国道3号線を渡って西へ。鹿児島本線にぶつかって左折し、突き当たって右折し井芹川沿いの道を高橋方面へ。

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目指す『市営城山墓園』は井芹川が坪井川に合流するところの南側にあり、その西の端には日本五大稲荷で有名な高橋稲荷神社がある。

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井芹川沿いの道を進んで、坪井川の合流点に近づくと『ひょっこりひょうたん島』のような格好の城山が見えてくる。

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朱塗りの稲荷橋を渡ってすぐ左折し、少し走ると右側に墓園への上り坂が始まる。

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距離の短い激坂を上ると斜度が落ち着き、ぐるっと南側に回って、背の低い方のこぶのてっぺんには給水塔?。

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引き返して、中腹をぐりっと回って、高いほうのこぶへの激坂15%くらいを上り切ると、そこにも給水塔?。

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汗が噴出してきて、木陰で嫁たちを待っていると、携帯が鳴り出し、職場から『すぐ来い』コール。 墓参りもそこそこに帰路へ。この後の『檜垣のこぼし坂・ヒルクライム計画』はあえなく頓挫した。 ところで、墓地になっている『城山』。その名の通り、元は『上代(かみだい)城』という、鹿子木寂心の城があったことを実は知らなかった。 高橋稲荷神社の由緒を記載した、とあるHPによると・・・。 神門明応5年(1496年)、隈本城の初代城主 鹿子木親員(かなこぎちかかず:後の鹿子木寂心)が支城として稲荷山山頂に上代城を築いた。この時、城内鎮守のため京都の伏見稲荷神社から稲荷大明神を勧請した。天文10年(1541年)上代城落城の際に稲荷神社も焼失した。  江戸時代に入り、熊本藩主細川氏の菩提寺である海蔵寺の首座義本氏が夢で稲荷神社再興の啓示を受け、寛文元年(1661年)、現在地である稲荷山中腹に社殿を再建し遷座した。以降、熊本藩主細川氏の崇敬を受けた。 身近なところにも知らない事がいっぱいあるなあ。 本日の走行距離:22.7km

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