くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

リベンジ宇土半島!

今月4日の宇土半島の峠攻めの途中、気まぐれに、ではあったが、目指した『石打ダム』にたどり着くことができなかった。そこでリベンジに行く。 うったちがやや悪く、午前8時過ぎに出発。ついでに色々と周るつもりなので、クロモリロードバイクにする。いつものように出水ふれあい通り経由で浜線バイパスに出て加勢川左岸に入り川下へ。

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県道182号線を左折。釈迦堂橋を渡りしばらく進んでJAの交叉点を右折。ウキウキロードを走る。国道3号線を横断し、県道14号線、鹿児島本線を超え、松田の交叉点にあるローソンで燃料補給。もう少しウキウキロードを走って左折。いつものように田舎道を走り、松橋駅の裏側を通って国道266号線を右折。しばらく走ると八代海が見えてくるが、生憎今日は干潮。

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道の駅 不知火はパスして松合地区の少し手前の左側にある『永尾劔神社(えいのおつるぎじんしゃ)』に立ち寄る。

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ここの集落は中心にある鎌田山が魚のエイによく似た格好をしており、この地区を永尾(えいのお)と呼ぶという。エイの尻尾に相当するこの神社は海童神(わだつみのかみ)を祀ったものだが、その社殿にはエイの絵馬が多数奉納してある。

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この集落ではエイは神聖なものとして崇められており、エイを食しない人が多いという。また、海に向かって開かれた境内からは旧暦の八月の新月の夜、不知火も見られるそうだ。

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国道266号線に戻って三角を目指す。

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いくつかのアップダウンを過ぎると道路はしばらく海岸端から離れ、再び海が見えるとまもなく三角。その前に戸馳(とばせ)大橋が見えてくる。

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ここまで快調に来たので、少し戸馳を走ることにする。大橋を渡り、アップダウンを進んで若宮海水浴場に到着。

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もう少し島を回る。

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ふたたび大橋を渡る。

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国道266号線に戻って100mほど進むと案内板があり、ダムの方面へ右折する。ここからダムまで6km弱。

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しばらく走ると少しずつ上って行き、もうしばらくするとアップダウンをくりかえして上って行く。

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途中から道路の西側にはJR三角線の線路が並走しており、しばらく登ると「石打ダム駅」。

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そこから1kmほどで石打ダムに到着。

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横には、お金がかかっていそうな「資料館」。

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資料館には寄らず、ダム湖の周回道路を反時計回りに一周してみる。 ダムの下流方面。

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ダム湖方面。

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ダム湖をまわる道は走り易いけれど沿道には雑木が茂り、ダム湖はほとんど見えない。

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山肌にミゾソバの群生を見つける。花弁(正確には「がく」)が開いている。

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ダム湖を一周し終える。この展望所の辺りはダム湖がよく見える。

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ここから前回、赤瀬の方へ降りた道へ進み、前回とは逆方向へ行って県道243号線の峠へ向うことにする。 少し戻って、「水取り堰」方面へ右折。700mほど登ると水取り堰の施設が見える。

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石打ダムは地形的な理由から八柳川という川の流域に建設されたが、その八柳川は流水量が少ないため、隣接する波多川に水取り堰を設け、導水トンネルでダムへと水を導いているらしい。 そこからしばらく進むと、距離は短いものの、激坂がいくつか待っていた。

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それを過ぎるとみかん畑。

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そこから間もなくで赤瀬への分かれ道となり、前回撤退したポイント(古屋敷区公民館のところ)に到着。そこから前回のコースを逆走して県道243号線方面へ劇坂を下り、それからまた上ってゆく。

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しばらく登ると、峠のお地蔵さんの所にたどり着く。

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ミニ羊羹でエネルギーを補給し、前回通らなかった網田方面への下り坂へ。木立の中のくねくね坂をしばらく下ると道が広くなり、視界が開けて、網田の集落から有明海まで見渡す。

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やがて網田の集落に降り、網田神社へ。

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ここには菊鹿の松尾神社の仁王像とよく似た仁王像があるというので見にきた。 参道の両脇の仁王像。

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ちなみに、菊鹿の松尾神社の仁王像がこれ。

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確かによく似ている。 お参りをして、国道57号線に入り住吉方面へ。普賢岳はシルエットだけ。

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快調にとばして住吉自然公園に到着。

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金峰山を背後にしている島は風流島(たはれじま)。小さい島だが、枕草子や伊勢物語にも登場する由緒正しき島。

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住吉自然公園の中心部にある住吉神社の北の参道。

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ここから階段を登った所にそびえる住吉燈台。

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そして、イギリスの海藻学者「ドゥルー女史」の記念碑。

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彼女の、海苔の生活史の研究がきっかけとなって日本での海苔の養殖技術が大きく進歩した。そこで彼女を、『日本の海苔養殖業界の恩人』、あるいは『海苔漁民の救世主』とみなし、その功績を称え、記念碑を建て、昭和38年4月14日に除幕式が行われた。以後、毎年4月14日に「ドゥルー祭」を開催しており、彼女の生誕100年にあたる平成13年の「ドゥルー祭」では、彼女のご子息、ご息女をお招きして、盛大に祝ったという。心の熱くなる話ではないか!

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海苔の養殖日本一の有明海。その有明海を見下ろす展望所に佇むドゥルー女史。しかし、彼女は日本での海苔養殖の隆盛を知ることなく、1957年、56歳でこの世を去ったという。 住吉自然公園から田舎道を通って次郎兵衛橋を渡り、国道501号線に突き当たる所の7/11宇土走潟店でサンドイッチを食べて、国道501号線を北上。平木橋を渡って右折。 六間堰、

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中無田閘門

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を経由し、加勢川・木部川沿いの道を進み、浜線バイパスに出て、来た道を帰った。出水ふれあい通りの銀杏並木が少し色づき始めていた。

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本日の走行距離:108.5km

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