くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

八代亜紀 追悼ライド

今年は正月早々びっくりするニュースがいくつも舞い込んできたが、「八代亜紀死去」のニュースは熊本県民には、より衝撃的だった。

そこで、追悼の意も込めて、彼女が幼少期を過ごした八代の土地を訪ねて来た。

小学校低学年頃

当初、自宅からカーボンロードバイクで単独で行くつもりであったが、家内も行ってみたいというので、車載に変更。

昼飯前に着いたので、久しぶりに「刀削麺の丸新」で、早めの昼食。

その後、球磨川左岸の「球磨川河川緑地公園」に駐車し、クロモリロードバイクと折り畳み自転車で幼い頃の八代亜紀が暮らした球磨川左岸を訪ねまわった。

彼女が小学生の頃は金剛小学校の校門前に自宅があり、

その裏には小川が流れていて、

当時は蛍が綺麗だったとのこと。

球磨川沿いにある八代第六中学校時代はバレーボール部だったとか。

そして駐車した「球磨川河川緑地公園」に隣接する八代清流高校。

この高校は、「八代南高校」と「氷川高校」が統廃合されて、八代南高校の跡地に設立された県内初の進学重視型単位制普通科の高校。

平成24年度の開校に先立つ一年前に校長が地元八代で開催された八代亜紀のコンサートで直談判し、彼女が校歌の作詞作曲を担当した。

校歌作成の謝礼金を、八代亜紀が「生徒さんのために使ってください」と受け取らなかったため、現在でも「奨学金」として利用されており、このような縁で深い繋がりがあった。

 

お仕舞いは国道3号線で球磨川を渡って麦島を北上し前川を渡って左折し、

中心街である本町の飲み屋街へ。

一方通行の狭い路地に建つ「キャバレー白馬」は、クラブ歌手を目指して16歳の八代亜紀が「18歳」と偽って3日間だけクラブ歌手として初めて人前で歌った場所。

4日目には父親と大喧嘩となって上京し、苦労しながらも大スターへの道を進んで行った。

ちなみに、この「キャバレー白馬」は日本に残った唯一のキャバレーとなってしまったけれど、まだまだ頑張っている。

本日の走行距離:16.8㎞