くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

「松井家」の八代ライド

昼からひと仕事しないといけないので、暗い内にカーボンロードバイクで出発し、中の瀬橋、めど町橋を渡って南へ。宇城市に入る頃には東の空が白み始め、

左の方が少し欠けていた月も形を戻しながら西の空へ沈み行く。

部分月蝕を堪能しながら八代市まで脚を伸ばし、細川藩の筆頭家老であった、松井氏の所縁の地を廻って来た。

松井氏は、室町時代には足利将軍家に仕える幕臣だったが永禄の変で足利義輝が1565年に殺害されると嫡男・松井康之は同じく足利将軍家に仕えていた細川藤孝(幽斎)ともとで行動するようになり共に戦乱の世を生き抜いた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、康之と嫡男・松井興長は藩主細川忠興に従って奮戦し、東軍勝利に貢献した。その後、細川氏は豊前を経て忠興の嫡男・忠利が肥後藩主となった。この時、忠利の父・忠興(三斎)は八代城を隠居城としたが、その忠興が死ぬと八代城は松井興長が預かることとなった。以後は松井家が十代、220年にわたってに渡って城代を務め、松井家は細川藩の世襲家老家の筆頭の地位も務めると同時に八代城下町とその周辺地域を支配する「八代の殿様」となった。

また、松井家は細川家と同様に文化芸能に通じた家柄でもあり、現在の松井邸でもある「松浜軒」には茶道や能に関する貴重な文化財が多数残されている。

明治になって八代城跡の北の丸には、松井家初代康之(やすゆき)と二代興長(おきなが)を祀る松井神社が建てられている。

その境内には、細川忠興が手植えして樹齢四百年と伝わる梅の名木・臥龍梅(県指定植物)。まさしく竜が臥したように枝をくねらせている。

そこから東へ数キロの古麓(ふるふもと)にある春光寺は、

松井家の菩提寺として知られている。

本堂の裏の急な石段を上ると、松井家初代から7代までの「古廟」と

それ以降の「新廟」、

それに殉死した家来の墓などが所狭しと並んでいた。

本日の走行距離:93.8㎞