くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

山鹿の毘沙門天

空が白んできた午前5時半頃にカーボンロードバイクで出発し、

北バイパスに入って坂を上ると霧が出て来た。

日田バイパスに降りて、県道37号線を北上すると次第に霧が濃くなってくる。

その後も県道37号線をひたすら北上し、菊池川と迫間川を渡って山鹿市鹿本に入る頃には視界が良くなってくる。

やがて鹿本町の庄地区にある泉福寺跡の毘沙門堂に到着。

一番左は吉祥天で毘沙門天の配偶者。次が不動明王。中央の毘沙門天の右は善賦師童子(ぜんにしどうじ)で毘沙門天と吉祥天の子ども五太子の一人。一番右が青面金剛で庚申信仰の本尊。毘沙門天の前に座っているのが弘法大師。

毎年3月3日には「毘沙門さん祭」が開催され、近所の人たちが家内安全や無病息災などを祈願してお参りし、祭組みのお接待役が用意した手作り料理や甘酒のふるまいを受けるという。

県道196号線を西へ走って一本松公園に立ち寄り、

その少し先から県道197号線へ右折して不動岩を眺めつつ

蒲生地区および沿線の六地蔵の様子を確認しつつ、

三玉地区を抜けたところにある久原毘沙門天堂へ。

格子戸から覗き込むと、比較的状態の良い毘沙門天像が立っていて、脇侍は共に女性の像。

通常は、先ほど見た泉福寺跡の毘沙門天堂のように、吉祥天像と善賦師童子像が脇侍として置かれるのが一般的で、母と娘の像なので、髪型などが異なるけれど、これは服の色違いのみ。

「姉妹なのかな?」と思いつつ、県道197号線をさらに西へ進み、県道200号線へ左折して山鹿市街地へ。

山鹿市山鹿にある緑町神社は日露戦争に際して町内有志の方が出征兵士の無事と国家の安泰を願って勧進されたもので、戦いの神ともされる毘沙門天を祭神としており、「毘沙門天神社」と呼ばれている。

拝殿に二つの石祠が建っていて、どんな毘沙門天が祀られているか、お姿を拝みかったけれど、注連縄が張ってあるので遠慮してお参りだけで辞去。

山鹿の市街地を抜けて

菊池川沿いの道に入る頃にはまた雲が垂れこめてきて、急ぎペダルを漕ぐ。

いつものように山鹿南部大橋を渡ってしばらくして左折し、千田川を渡って田舎道を走り、合志川沿いの道に入り、植木温泉を抜けて、小野川沿いに南下し、立石からは坪井川沿いの道を走る。

路傍にはハルジオンや春の花が咲き始めたけれど、

全線にわたり圧倒的に勢力を拡大しているのは「アメリカフウロ」であった。

熊本市街地に入ってからは子飼橋から白川沿いに走って帰った。

本日の走行距離:70.3㎞