くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

市内の「松尾神社」めぐり

全国各地にある「松尾神社」は、京都の嵐山と峰続きの松尾山の東の麓にある「松尾大社」を総本山としている。

松尾大社

この「松尾大社」は京都の四条通の東端に鎮座する「八坂神社」と相対する西の端に鎮座していて、「酒の神」を祀る神社として、全国の醸造業者の信仰を集めている。

熊本では、山鹿市木野の「城野(きの)松尾神社」が有名で、米どころ・菊鹿盆地を見下ろす山の麓に大同2(807)年、京都の松尾大社の分霊を勧請して建立したと伝えられる。

子どもの夜泣きに効き目のある「夜泣き貝」が生息するご神木の楠やイチイイガシなどの巨木や、ユーモラスな仁王さんが印象的な神社。

そんな松尾神社だけど、熊本市内にも2社あるので行ってみた。

 

ひとつめが健軍3丁目の丘の上に建つ松尾神社。

若葉地区のHP「若葉遊々」の「若葉の歴史」の項目で、どなたが執筆されたか分からないが、「松尾神社の不思議」という興味深い解説文があって、それによれば、総本山である松尾大社は、元々、京都の太秦(うずまさ)から嵐山の辺りに朝鮮半島から移り住んだ新羅系の渡来人である「秦氏(はたうじ)」が氏神を祀って建てた神社で、「秦氏」が養蚕や醸造の技術を持っていたため中世以降は「醸造の神」として知られるようになったことを書いてあり、その「秦氏」の一族が健軍の、この辺りに住んでいたのでこの「松尾神社」を勧進したのでは、との大胆な仮説をたてている。

 

さて、そこから熊本動植物園の入口に入り、水前寺江津湖公園の広木地区を抜けて

下江津湖の反対側へと走る。

そして江津塘の西側の集落にあるのが、「上無田松尾神社」。

通常の神社の概念を覆すような、白い外見と、西洋風の拝殿が異様を誇っているが、これは熊大工学部建築科の教授をしていた木島安史氏の設計によるもの。

木島安史氏は1937年の朝鮮生まれで、早稲田大学卒業後、大学院を修了し建築設計事務所勤務、エチオピアでの大学講師を経て1970年に計画・環境建築,YAS都市研究所設立。1982年には熊本大学教授就任。1991年に千葉大学教授就任するも1992年に55歳の若さで逝去している。

県内では、球泉洞の森林館や、

東陽の石匠館の他、

県内の数校の校舎や教会など、木島氏設計の建物が残っている。

この上無田松尾神社は1970年頃には老朽化が進んだため、集落の人々の共有地を売却したお金で増改築されたと言う。

本殿は貫桁より上部は既存の木造をそのまま利用し、

鉄筋コンクリートで新たにつくった下部の上にのせられている。

新築の拝殿は、柱頭を持つ細い列柱にヴォールト屋根を載せた古代ローマ風。

日本の土着の神社建築様式に、西洋の様式を“渡来”させたものとなっており、神社建築の設計に一石を投じたとして、業界では知られた物件らしく、著名な設計士も見学に来るという。

この神社は由緒書きなどがないので、起源が判らないが、江津塘が完成後の江戸期のものであろう。

ちなみに、この神社から100mほど南にある「上無田公民館」も同時期の木島安史氏の設計によるもので、

入母屋の民家をベースとしつつ、玄関周りのアーチなど、こちらも和洋折衷の要素が加わっている。

「木島氏の生まれが朝鮮ということなので、ひょっとすると秦氏とも関係があるかも?」と、わたしめも大胆な仮説を想い描きながら帰った。

 

本日の走行距離:14.1㎞