河童は日本の水辺に棲むとされる妖怪で、一説によると、1600年ほど前に、中国から海を渡って八代の球磨川河口近くに渡来し、やがて日本国中に広く生息するようになったという。
古来より日本では、あまたの水神様がおられたが、
河童は水神様の化身で、川で子どもが溺れたりするのは河童の仕業だと信じられるようになった。 こうして、熊本では夏が近づくと、各地の川沿いの集落では、「川祭」と称して、河童の好物を藁苞(わらづと)に入れて供え物とし、子どもの水難防止を祈願する風習が今も続いている。
河童が到来した八代市街地には、大小様々な河童像や、
河童に因んだ飲食店や、
着ぐるみさんも。
県下では各地に河童伝説が残っており、南阿蘇の明神池では、戻らぬ恋人河童を待っていたという石の上に、雌の河童の銅像が造られていた。
近いところでは、坪井川の源流のひとつとされている湧水池の「水口」に
かつて置いてあった河童像が今は近くの井上地区にあるというので、行ってみたけど、残念ながら地震の影響か、そのお堂のあったところは更地になっており、
真っ赤な顔の由緒ある河童像とやらを拝むことができなかったのは誠に残念。
阿蘇谷の役犬原(やくいんばる)の湧水のカッパ像はなかなか印象的だけど、
よく似たのが「水の駅 菊池水源」にもあった。
他にも、御船川辺田見公園や
もう少し下流の橋の欄干とか
尾田の丸池にも河童の像が置かれている。
もちろん熊本市街地でも、御馴染の「カッパの本屋さん」である金龍堂まるぶん書店の入口では、昭和45年から芥川龍之介の「河童」を彷彿とさせるような銅像がお客さんを迎えているし、
流通団地の街角にも可愛い子河童の姿。
さらには、カッパの歯科医院や、
カッパの保育園、
カッパのJAZZ居酒屋なんてものも目にする。
そんな熊本の河童だけど、大戦後しばらくまではあちこちで生息していたらしいが、その後、急速に姿を消した。 そう言えば、子ども頃によく遊んでいた、寺原(てらばる)付近の坪井川にもカッパが住んでいるという話だったが、護岸工事で住めなくなったのか、ついぞその姿を見ることはなかったなあ。