くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

六地蔵でひと休み(その5)

熊本県内をサイクリングして見つけた六地蔵を紹介するシリーズも終盤。 今回は、ちょっと変わったものをご紹介。 前回と前々回で紹介した「六地蔵塔」は、六角柱の各面にお地蔵さんが彫られているものを紹介したが、今回まず紹介するのは、四角柱に彫られているもの。 このタイプの六地蔵塔は大分で多く見られ、そのためか、熊本では産山村の家壁(やかべ)や

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田尻、

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阿蘇市の尾籠(おごもり)、

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高森町の色見(しきみ)

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などで見る事が出来る。 これらでは、四角柱の四つの面の内、三面に二体ずつで計六体の地蔵尊が彫られている。

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そして残りの一面に、「十王」や「奪衣婆(だつえば)・懸衣爺(けんえおう)」、あるいは「倶生神」などが刻像してある。

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「十王」とは、仏教において死者の罪の多寡に鑑み、六道への輪廻を司るなどの職掌を持つ裁判官的な尊格。最も有名なのが死後35日目に待ち構える閻魔大王である。 「奪衣婆(だつえば)、懸衣爺(けんえおう)」とは三途の川で待っている婆さん爺さんで、婆さんの方が亡者の着ている物を奪い取り、爺さんがそれを衣領樹(えりょうじゅ)という木に掛ける。 そうするとその木の枝のしなり具合でその人の罪の重さが決まるらしい。 また、「倶生神」とは、人が生まれる同時にその人の両肩に住み着く二人の神の事で、その人の行ったすべての善と悪を記録し、死後に閻魔大王に報告するらしい。 こうして民衆を救済する六地蔵に加え、六道の行く先に大きく関わる「十王」や「奪衣婆、懸衣爺」、「倶生神」などが信仰の対照となったと思われる。 ちなみに、南関町の山の中にある「大迫六地蔵」は、

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六角柱の一般的な六地蔵塔の形態をしているが、龕部の六地蔵の下の中台には十王

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と奪衣婆、懸衣翁

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が配され、幢身正面には、仁王像が刻まれており、

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他に類を見ない。 そして、南阿蘇の清水峠の下にある清水寺の六地蔵は八角柱をしており、

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うち、六面には地蔵尊、他の二面には閻魔大王とその他の十王の誰からしき姿が彫られているとのこと。

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次に紹介するのは「六地蔵板碑」と呼ばれるもので、板状の自然石などに六地蔵尊と阿弥陀如来などを刻したもの。 中央町払川の六地蔵

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のように刻像されたものは日本各地に見られるが、玉名市野部田(のべた)、

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植木町舞尾(もおのお)、

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菊池市四町分(しちょうぶん)、

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菊陽町戸次(とつぎ)

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にあるような、線刻されたものは熊本以外ではあまり見られないとのこと。 最後に紹介する六地蔵は、御船町豊秋にあるもので、三角柱の一面に二体ずつの地蔵尊が刻像されているけど、

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その外観は性器信仰と習合したらしく、地元では「ムクレさん」と呼ばれているとのこと。

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こんな六地蔵は全国でもここだけ、という話。 以上、五回に渡って熊本県内で見つけた六地蔵についてご紹介した。