新型コロナウイルス感染の第6波がいよいよやって来たので、午前中だけのサイクリングに朝7時過ぎにクロモリロードバイクで出発。
京塚、健軍自衛隊を経由して秋津川沿いの道を東へ進み、
県道57号線へ右折。
4~5年前から、ヘビやら虫やらが少ない季節になったら探しに行こうと思っていて、ついつい忘れてしまっていた御船町田代の磨崖仏を目指して坂を上る。
ところが玉来(たまらい)の先が工事で通行止めとなっていて、
仕方なくマミコゥへ迂回して、県道221号線を経由して県道57号線に戻り、歌野酒店から吉無田高原方面へ左折。
1㎞ほど走って右折して、矢形川沿いに上って行くと、中畑集落の入口の左岸の岩場に目指す「十王磨崖仏」がある。
おそらく柱状節理が露頭した部分の壁面を使って、上部を丸形や駒形の内窪み半浮き彫りをした像が14基並んでいる。
表面が風化してはっきりしない像が多いが、ネットの情報によれば、十王と、阿弥陀如来像、地蔵菩薩像、それから奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)の像だと言う。 仏教における「十王信仰」というものをよく知らないので、調べてみると、宗派や地域によって色々なバリエーションがあるようだけど、まとめて言うと次のようになるらしい。
人は死ぬと、その魂が身体から抜けて、三途の川へとやってくる。
この川を渡るための通行料金の六文銭を持っていれば問題ないが、持ってない場合は、奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)の「洗礼」を受ける事になる。すなわち、婆さんの方から着物をはぎ取られ、その着物を爺さんが衣領樹(えりょうじゅ)という木に掛ける。そしてその枝のしな垂れ具合で生前の罪の重さを調べられる、と言った具合。
そんなこんなで三途の川を渡った後は、今度は十名の王(裁判官のような人)による生前の行いに関する厳しい審議が待っている(ひえ~!)。
審議は週に1回で、通常は7回(七七日忌)で終了し、もしその時点で審議の判定がつかない場合は残りの三名の王による審議が百ヶ日忌、一周忌、三回忌の3回行われ、六道のうちのどこへ行くかが決まる。
十王の中でも最大の難関は、五七日(死後35日目)に受ける閻魔大王の裁きである。
そのため、この際には遺族が手厚い追善供養を行えば、判決の結果が良くなるとされている。 「あら?うちの両親の法事の時は五七日忌とか何もせんかったぞ」と心配したら、「浄土真宗では、信者はみな亡くなった時に直ちに極楽浄土に往生するため、この種の追善供養は一切ない」とのことで、ひと安心。 そんなことを考えながらあらためて御船の山奥の中畑集落の磨崖仏をよくみてみると、
5~6名の王は輪郭が判るものの、
持ってるものなどの詳細ははっきりせず、どの人が問題の閻魔王なのかも判らなかった。 ただ、阿弥陀如来と
地蔵菩薩は比較的よく解り、
残る一番右端の風化したのが懸衣翁(けんえおう)で座っているのが奪衣婆(だつえば)じゃないかな。
十王磨崖仏を堪能した後は来た道を戻り、県道221号線で軍見(ぐみ)坂を下って木倉に降り、
矢形川の水神様を経由して畑の中の一本道を南へ走り、
浮嶋神社を経由して
県道226号線を北上して帰った。
本日の走行距離:50.0㎞