甲佐、御船、益城の四方仏を探訪しに午前6時過ぎにクロモリロードバイクで出発。
出水ふれあい通りを経由して中の瀬橋、めど町橋を渡って緑川左岸の道で甲佐町へ。
上豊内の集落の墓地の一角に建つ五輪の塔と四方仏。
田圃の中の塚が土地の基礎整備事業のために取り払われた出て来たもので、共に供養碑とみられるとのこと。
続いて「上早川の下大峯地区の四方仏」とのネット情報で行って見ると
現地の案内板には「下大峯(しもおみね)観音堂」となっており、祀ってあるのが、馬頭観音と阿弥陀如来と書いてある。
なるほど、右側のは典型的な馬頭観音で、
左側が阿弥陀如来らしいが、風化が激しく、また、祠が狭いので詳細がわからない。
四角柱の他の面にも何か彫ってありそうで、ひょっとするとこちらが「四方仏」かとも思われた。
いずれにしても新たな馬頭観音を観ることが出来て、
いい気分で県道152号線の坂を上がって行く。
アップダウンのある峠を越えて久しぶりに「水越スクエア」へ。近くの六地蔵と追分石を写真に収め、
もう少し県道152号線を走って「将軍堂」を目指す。
ところが、この場所がなかなか分からず、どうも夫婦喧嘩の最中の老夫婦に一旦喧嘩を中断してもらい、「将軍堂」の在り処を教えていただく。
民家の裏庭的なところから始まる急な石段を上がると、南北朝の末期の征西将軍宮懐良親王が身を隠したと伝えられるお堂があって、
その横に「四方仏」。
四面の塔身の内、三面には地蔵尊が彫られているが、
一面には梵字が彫られていた。
道を戻って「水越スクエア」から右折して県道219号線を上り樫永峠を越えて、
長い坂を下って国道445号線に突き当り、左折。御船の市街地から国道443号線へ左折して益城に入り、飯野小学校の先から右折して少し坂を上り、「衣更の阿弥陀堂」へ。
暗い堂内には自然石に彫り出された阿弥陀如来が笑みをたたえていた。
そのお堂の入口に三段重ねの層塔が立っていて
下二層は地蔵尊が比較的明瞭だが、上層部は不明瞭だった。
さらに国道沿いに北へ走って赤井水源の
すぐ近くの観音堂へ。
聖観音を拝する御堂の前には四方仏と
五輪塔の残欠らしいものが建っていた。
道を戻って、さらに国道を北上し、「益城町総合運動公園」内にある「ミナテラス益城町交流情報センター」の前に行くと石塔がふたつ建っている。
ひとつが鎌倉時代に建立の五輪塔で、総高248.5㎝は九州最大級で、九州を代表とする五輪塔らしい。熊本地震の時に、個人宅に置かれていたものが倒壊し、益城町に寄贈された、とのこと。
もうひとつが、益城町の朝来山中腹にあった「尾峰山福田寺」に奉納されていた石塔がここに移転されたもの。
五輪塔の「火輪」と「水輪」の間に四方仏が刻まれた宝塔の塔身が重ねてある。
色んな石仏を堪能した後は秋津川沿いを西に走っていつものように帰った。
本日の走行距離:70.5㎞