くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

伊能忠敬の足跡を捜して・・・

わたしの業界では定期的に機関紙を発行し、それを関係各所に配布するところが多い。 先日、うちに送られてきた某大病院の機関紙では大学の同級生がエッセイを書いていて、迫リ来る自分の定年について触れ、「伊能忠敬(いのうただたか)」を引き合いに出していた。

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精巧な日本地図を作製したことで有名な伊能忠敬だが、元々商人だった彼が暦学や天文学などの勉強を本格的に始めたのは50歳になって隠居した後のことであり、日本地図作製のための測量を全国各地で始めたのは、56歳になってからであった。その後17年をかけて全国を歩き、測量を行った。

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(熊本あたり)

要するに、伊能忠敬さまは、われわれアラ還(アラウンド還暦)の星なのである。 そう言えば、一年ほど前、大分から熊本まで九州横断ライドをした時、大分市内の住宅街で「伊能忠敬 宿泊跡」という標柱を見かけた。

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ところが熊本ではそのような標柱や話を聞いたことがない。そこでネットで調べてみると・・・。 「伊能忠敬e資料館」というHPに詳しい資料があって、忠敬ら測量班の日本各地での測量の日時、場所、宿泊所の一覧がわかった。 その中で、熊本での宿泊所は旅館とか各地の有力者らしい名前が多いものの、寺院がいくつかあり、その中でひとつ熊本市内に現存しているものが見つかったので、行ってみることにする。

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何やかやらしているうちに遅くなって、正午頃にクロモリロードバイクで出発。 まずは昼飯。水前寺公園から出水ふれあい通りを走って画図の田舎道をテキトーに走り、

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ハンズマン、桜十字病院などを経由して

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川尻をかすめ、白藤にある「お好み焼きシマダ」へ。

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ここは2回目だけど、最近、自転車仲間が大挙して押しかけている。

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というのも、ここの若旦那も自転車乗りで、仕事でお忙しい中、かなりのロングライドをされるらしい。道理で、仕事中もロードバイクに乗っているようなフォルム。

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(みきたかさんのブログより)

最近では、真夜中に熊本を出発し八代、水俣、出水から長島を抜けて朝一のフェリーで牛深へ渡り、天草、宇土を走ってその日の内に帰って来たとのこと。す、凄い! モダン焼きをいただき、美味しいお味噌汁をサービスしてもらい、お話をして辞去。

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ご馳走様でした! さて、そこからまたテキトーに走って

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白川を渡って小島(おしま)へ。

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ここにある「光明山専照寺」が伊能忠敬らの宿泊所(西暦1810年の12月25日)となったところ。

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お寺の方は留守で残念ながら詳しいお話は聞けなかった。また、お寺の周囲の方に伺っても「伊能忠敬?」というお返事。 それよりも著名人の宿泊なら、ここ小島では、熊本で初めて天皇が宿泊した「明治天皇小島行在所(あんざいしょ)」、

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その際、随員が宿泊した屋敷跡、

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さらには西郷隆盛の弟が宿泊した屋敷跡、

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などの方が馴染みがあるらしい。 どうも最近、依存症となってしまって近くにある「濱田醤油」の醤油ソフトクリーム

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をいただき、小島を後にする。 坪井川沿いの道を走り、

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田崎を過ぎて白川沿いの道に入り、

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「人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り、余生はいらない。」という伊能忠敬の言葉を噛みしめながら、いつものように帰った。 本日の走行距離:40.6㎞

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なお、今回は「あの人の人生を知ろう~伊能忠敬編」でしっかりお勉強した。