くまもと自転車紀行

熊本市およびその周辺を走行した記録や装備・メンテなど、自転車にまつわることがらを中心としたブログです

くまもと井戸めぐり

一日中パッとしない天気が予想されるので、熊本市内の由緒ある井戸を見て回ることにする。 朝から下調べをして、午前9時過ぎシクロクロスバイクで出発。 まずは保田窪本通りから産業道路に出て、九学通りに左折したところにある徳富記念園へ。

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明治時代を代表するジャーナリストでもあり、歴史家でもある兄・徳富蘇峰と、小説『不如帰(ほととぎす)』などで知られる弟・徳富蘆花。二人が少年時代を過ごした住居跡は現在、徳富記念園として整備されている。その一角に井戸が残っており、『徳富蘇峰・蘆花の井戸』と呼ばれている。

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九学通りを南下し、白山通り、流通団地を経由して蓮台寺橋を渡って、蓮台寺へ。

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蓮台寺は、かつて平安時代の女流歌人であり、肥後国司清原元輔とも親交のあった桧垣が庵を結んだところで、「桧垣寺」と呼ばれた。寺の南側に『桧垣の井戸』があり、桧垣はこの井戸から水を汲み、岩戸観音に日参したと言われている。

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白川沿いの道を進んで、河川敷を走ったりして、市街地方面へ。

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上通セントラルハイツの前にある『桜の井戸』に到着。

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加藤清正は、有事に備えて城下の要所に井戸を造ったが、この井戸もその中の一つである。その水は茶の湯に最適とされ、城中でも重宝されたという。旧町名の桜井町は「桜の井戸」から名付けられたものである。 国道3号線沿いに走って、藤崎宮のひとつ先の信号を左に折れたところにある報恩禅寺へ。

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山頭火が出家得度したことで知られるこの寺の境内の右奥にある井戸。

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「壺井」と呼ばれたつぼの形をした井戸で、この辺りの地名の由来という。

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内坪井方面へ進んで、熊本中央高校の東側にある夏目漱石の旧居へ。

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その庭に井戸が残っている。

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漱石の長女・筆子の産湯を使った井戸として有名で、「やすやすと 海鼠(なまこ)のごとき 子を産めり」は、筆子誕生を詠んだ句。 そこから熊本中央高校の北側の道へ入ると、『横井小楠 産湯の井戸』。

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勝海舟が「はしごを掛けても及ばぬ」と評した幕末の思想家で、坂本竜馬など維新の志士に大きな影響を与えた。 そこから裏道を通って必由館高校へ。

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正門を入ってすぐ左側には「井上毅 生誕の地」の記念碑がある。

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明治国家の設計図を書いたといわれる井上毅。大日本帝国憲法の草案や教育勅語など新国家の運営に尽力した。また、伊藤博文内閣の文相も務めた。その井上が産湯を使ったとされる井戸が記念碑の横に残されている。

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坪井緑地公園に入り、坪井川沿いの道を北へ。北部浄化センターから左折して坂を上り、国道3号線に突き当たる右側にある「御馬下の角小屋(みまげのかどごや)」。

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豊前街道を往来する島津、細川などの大名が休憩所として使用したお茶屋で、現在は熊本市の記念館として一般公開されている。

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深さ42mにも達する井戸が現存し、江戸へ向かう篤姫が食べたスイカもこの井戸で冷やしたとされる。

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このあと、国道3号線を南へ走り旧・国道3号線に右折し京町の実家に寄って帰った。 番外編だけど、実家で使っていた井戸。

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子どもの頃、親の言うことを聞かないと、「ここにつこかすぞ!」と脅されたものだった。 時折ポツリポツリと来たけど、幸い濡れずに済んだ。 本日の走行距離:36.4㎞

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本日参考にしたのは、「くまもとウォーターライフ」のここここ